
脳内航海士Twitter( @Ju1yWhite__ )の、2018年5月のツイートのまとめです。
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「好きなことをして生きていけるなら嫌いなことをしても構わない」と思えるならそれはとてもいいことで、「好きなことをして生きていかなくてもいいけど嫌いなことはしたくない」と思うととたんに人生ハードモードになってしまうのかなぁと感じる。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年5月3日
「好きなことをして生きていく」という考え方が昨今もてはやされますが、それができるのは「好きなことをしていきていけるなら嫌いなことをするのも厭わない」と思える人だけなんです。
僕はどうしても「嫌いなことはしたくない」という思いのほうが強いので、「嫌いなことをするくらいなら好きなことをして生きていけなくてもいい」と思ってしまいます。それがダメなところなんでしょうけど。
「ブログで稼ぐ方法!」とか「アフィリエイトでの儲け方!」みたいなのを調べてみると、やれ文章はこう書けだのやれ画像やリンクはこう貼れだの、だいたい同じようなことが述べられているんですが、「僕がやりたいのはそういうのじゃねぇんだよ!」って言いたくなります。
フリー素材をサムネイルにドーン! とか、記事内容と関係ない写真を冒頭にバーン! とか、僕は絶対やりたくないんですよね。
そのやり方で成功したとしても、それはきっと自分の「なりたかった姿」ではないし、幸せにもなれない気がするんです。僕なんかが言えた立場じゃないんですが。
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『明日はきっと晴れますように』https://t.co/MM558lObE2https://t.co/NaUDEZ0qSW
初めてnoteとカクヨムに小説をアップしてから今日で1年だったんですね。早いものです。 pic.twitter.com/7uNzYqicTb
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年5月4日
時が経つのは早いですね。
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五月病、5月にいろいろ怠くなる人にとってはいいんですけど、6月とか7月とか8月とかに緊張の糸が切れる人の気持ちも考えてあげてください(9月に精神的にガタがきた経験のある人より)。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年5月6日
僕の傾向として、「多くの人がつまずく最初の関門」みたいなところは乗り越えられるのに「あまりつまづく人がいない二つ目や三つ目の関門」のようなところでやられてしまう、というのがある気がします。
季節の変わり目はピンピンしているのに季節が変わった頃に風邪をひく、とか。
高校の化学で、molはすんなり理解できたのに熱化学方程式で死んだりとか。
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顔のアップの絵が僕は見るのも描くのも少し苦手で、かといって背景だけの絵もあまり得意ではなくて、これは写真とかでも同じで「一応主役は人物だけどカメラはちょっと引き気味」くらいが一番心地よく感じるんだけど、この傾向には僕がリアルで人と接するときの距離感がよく表れているような気がする。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年5月12日
人の顔が直視できない。
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創作という行為はその過程の中で自分の拙さや弱さや未熟さを嫌でも痛感するものでそれはときにとても苦しい作業なんだけど、軽い気持ちで想いの込もっていない作品を量産するくらいならいつまでも苦しんで何かを生み出していきたいと思う。たとえ中身はなくても気持ちだけは込めたいな、と。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年5月14日
初心忘れるべからずじゃないですけど、いつまでもわかりたくないなとか、いつまでも弱いままでいたいなとか、いつまでもふわふわしていたいなといった部分があって、そうでないと未熟な人の立場に立てなくなってしまう気がするんです。
何物かであるというプライドをもちたくないというか。
プライドをもちたくないというプライドがあるというか。
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付き合っていて心地いいのは、「一緒にいると安心できる」人よりも「一緒にいなくても安心できる」人だったりする。何かを与えることで深まる関係は、それを与えなかったり与え方を間違えたりした瞬間に崩れてしまう危険を孕んでいるので、その不安定さに怯えなくていい関係に安心を感じるのだ。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年5月16日
「一緒にいないといけない関係」とか「何かを求められる関係」って、疲れませんか?
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希望があるのは絶望がそこにありえたかもしれないとわかっているからで、幸福を感じるのはいずれ壊れるかもしれないものが辛うじて形を保っているからで、誰かを好きだと思えるのは別の誰かだったら嫌いになっていたかもしれないことを愛おしいと思えるからなのだろう。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年5月19日
感動って、運というか巡り合わせというか、感じ方のほんの些細な違いだったりすると思うんです。
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本当の意味での優しさにはどこかに多かれ少なかれ厳しさがあって、だけどそれは場合によっては絶望的なまでに相手を痛めつけるもので、その痛みを受け入れることは誰もができることじゃないから、偽りの優しさでないと慰められない心とか傷を癒せない者同士でしか舐め合えない傷ってあるよなぁと思う。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年5月20日
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完全にお前が言うなって話ですが、フォロー1000フォロワー10000プロフィールびっしりで明確な意志や方向性をもった感じの人になりたいんじゃなくて、フォロー100フォロワー10000プロフィール1行で明後日の方向に紙飛行機を飛ばしまくる感じの存在になりたいとは常々思っています。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年5月23日
「私はこうしてTwitterのフォロワーを増やしました!」みたいな話はちょっと調べるといろいろ出てくるんですが、たいてい「プロフィールはわかりやすく具体的に」とか「みんなが知りたいことを」とか「ツイートの方向性を決めろ」とか「インフルエンサーに乗っかれ」といったやり方しかなくて、僕が目指しているのってそういう人じゃないんですよ。そんなこと言えた立場じゃないんですが。
(というか、プロフィールがびっしり書いてあるといかにも意識高そうな感じがして逆に敬遠しません? 極端な話、プロフィールに「うんち」としか書かれていないアカウントのほうがおもしろそうじゃないですか?)
(名前は出しませんが)有名人というわけでもないのに特に役に立つわけでもないことを呟いて2~3桁いいねをもらっていて、フォローは100弱でフォロワーは数万、プロフィールは一言、みたいなアカウントってあるじゃないですか。僕がなりたいのってそういう存在なんですよ。
でもこういう存在になる方法は調べても全然見つからないんですよね。
才能か何かなんですかね? それともこういう人たちも昔は多くのアドバイザーが述べているようなことを実践していたんでしょうか?
どこかで見たのが、「Twitterの影響力は『フォロワー数』ではなく『フォロワー数-フォロー数』」という言葉。
たしかに実感としてそんな感じはあります。
ただそういう、フォロー2桁フォロワー5桁みたいな「Twitterの有名人」って、得てして恋愛について呟いていることが多い気がして、僕もそうなるには恋愛のことを綴っていかないといけないのかなぁ、と思ってしまいます。
恋愛経験が皆無なので無理ゲー臭しかしないですね……。
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「やりたいことをやっていいんだよ」「好きなことをして生きていこう」という声をよく聞くけど、好きなこともやりたいこともない人にとってはかえって息苦しく感じてしまうので、「やりたくないことはやらなくていいよ」「嫌いなことはしないで生きていこう」という声も同じくらい叫ばれていいと思う。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年5月24日
ポジティブの肯定はお腹いっぱい。
ネガティブの否定をしていこう。
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小説というものを書くにあたり、まずは文章で設定やおおまかな外見については考えていくのですが、細かい性格やセリフの言い回しなどはこうして絵にしたほうが僕はイメージが湧きやすい気がします。顔だけでも描いてみると、「あ、この子はここでこういうこと言いそうだな」という閃きがあったりとか。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年5月26日
文章のみで語れる人ってすごいと思うし、絵だけで表現できる人も尊敬します。
『明日はきっと晴れますように』のマスターなどは逆にビジュアルをほとんど考えなかったケースで、非現実的でつかみどころのないキャラクターを書くためにあえてビジュアル面は考えないということもあります。
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キャラに愛着をもてないとキャラを生き生きと描けないしおもしろいストーリーも作れないと思っていたけど、ある作家さんが「キャラに愛着があまりないからこそ残酷な目にもあわせられる」と話していてなるほどと思った。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年5月26日
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物語の登場人物に読者は感情を重ねることはできても、その人になることはできない。いくら読者が願ってもその物語の中の世界を変えることはできない。交わることのない平行世界。手を触れられない傍観者。現実の世界とも、そういう距離感で生きていきたかったんだ。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年5月27日
深入りなんてしたくないけど、しなきゃいけないんだろうか。
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究極的には生きるのは自分のためで誰かと比べる必要はないんだろうけど、他人というモノサシがないと意思や価値や目標や判断基準やアイデンティティをどこに求めればいいのかわからなくなる恐怖というのもあって、だったら他人という名の呪縛とともに生きていくほうがまだマシかもなぁと思ってしまう。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年5月30日
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自己が希薄とか空虚とかいうのには「本当に何にも染まっていない無色なタイプ」と「いろんなものに染められて塗り潰されて影響されまくって本来の自分の色を見失った真っ黒なタイプ」の二つがあると思っているんだけど、後者の存在が蔑ろにされがちというか前者しか存在しないと思われがちな気がする。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年5月30日
『白と黒の雪どけに Film.1 第6章』でそれっぽいことについて言及しました。
このお話では、絵梨奈を「無色」、湊を「真っ黒」としています。
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いろいろとこじらせた結果「今更ありきたりな言葉で救われてたまるか」「ちょっとやそっとで慰められてたまるか」というところまで来てしまっていて、もうそんな僕を理解できるのは僕しかいないと思っているので、なんとかして自分自身を慰めるために今は物語を書いています。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年5月30日
『白と黒の雪どけに』はそういう話を目指しています。
「救われる権利なんて俺なんかにはないんじゃないか?」くらいにこじらせた人のための物語を今後も書いていきたいです。
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