
脳内航海士Twitter( @Ju1yWhite__ )の、2018年3月のツイートのまとめです。
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過去の作品を見返してみると出来が悪すぎて死にたくなることがあるんだけど、そのたびにかつて高校の先輩に言われた「以前作ったものを見てダメだと思えるならそれは自分が成長した証」という言葉を思い出してなんとか正気を保っている。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年3月3日
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「あなたが好きなものを私も好きになる」よりも「あなたが嫌いなものを私も嫌いになる」のほうが難しいと思う。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年3月6日
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よほどのことがない限り、上にはどこまでも上がいる。不幸な状況が頭の中にあるからこそ、現状を幸福と感じることができる。幸福でいるための近道は、ある意味不幸を想定し続けることなのかもしれない。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年3月9日
たとえば、コップに半分水が入っているのを見て「half empty(もう半分しかない)」ととるか「half full(まだ半分もある)」ととるか、ということだと思います。
足りない部分ばかり見ていたらいくら満ち足りていても幸せを感じることはできないし、逆に少しでもプラスの部分を見つけられればそれだけで幸福度は上がると思うのです。
「幸福」っていうのも相対的なものなんですよね。
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「あの言葉で僕は変わるべきだったのかもしれない」とか「あのとき僕は死んでいたかもしれない」と思うことがあるんだけど、「それほどのことがあっても何もなかった」ということが僕のアイデンティティであり、何もなかったなら何もなかったなりに何かをつかみ取ってやろうという謎のプライドがある。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年3月11日
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何かあったときに何事もなかったかのように日常を送ることこそが一番難しくて一番大切なことなんじゃないかと思う。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年3月12日
過度な気遣いは、ときに相手を傷つけることもあるんです。
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現代の若者は(自分も含めて)失敗を非常に恐れるといわれている。「○○してみた」という検証系の動画や「○○のやり方」というハウツー系の記事を多くの人が見たがるのは、それらの投稿が「自分の代わりにほかの誰かが失敗してくれている」というある種の安心感をもたらしているからなのかもしれない。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年3月14日
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「人生で一度は言ってみたいセリフ」っていうのがある人はあると思うんですけど、僕的には宇都宮隆さんの『Kiss Will Kill me』(作詞は井上秋緒さん、作曲は浅倉大介さんという黄金コンビ)がそういう言葉の宝庫ですね。詞だけでなく曲もめちゃくちゃかっこいいです。
このツイートは完全にステマです。— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年3月18日
こういう曲はウツさんが歌うからかっこいいんだよなぁ。
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=F03102
大ちゃんが書くウツソロ曲はどれも最高です。特におすすめは『Kiss Will Kill me』『NEXT STAGE』『R.Heaven(Route Heaven)』ですかね。
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同じやり方でも、他人からこの通りにやれって言われるといくら理屈を並べられてもなんとしても逆らいたくなるんだけど、自分でこのやり方がいいだろうって思えると理屈とかあまり関係なくやる気になれるのかもしれない。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年3月20日
騙されたと思ってやってみても、あまり自分の身にならない気がします。
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自己主張が苦手な人は、「自分の本質は自分にある」ということをよくわかっているんだと思う。何か一つ言葉を発したら、その言葉に矛盾しないような一貫した態度をとらなければならない。食い違うことを言ったら自分で自分に嘘をつくことになる。自分が発した言葉の数だけ自分を縛りつけてしまうのだ。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年3月21日
「自分の本質は自分にある」という言葉はある人からの受け売りなんですが、自分の人格を規定するのは、結局は自分自身の言動なんです。
言い換えれば、発した言葉のぶんだけ、自分の人格が規定され、他人からの評価が決まり、がんじがらめになってしまう。
だから始めから何も言わなければいいだろう、ということです。
まあ嘘でもついて他人を欺くことはいくらでもできるんですが、自分で自分を欺くことだけはできません。
自分の行いは、自分はすべて知ってしまっています。
そして自らを欺くということに、ある種の罪悪感を覚えてしまう。
自分の意見を発信するのが苦手な人は、こういうふうに考えてしまう傾向が強いんじゃないかな、と思いました。
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個性を主張しようにも好きなように生きていこうにも、そのためには大衆に理解できる言語を使って大衆に理解できる文脈の中で大衆に理解できる形で表現をしないといけなくて、まあそれはこの世の真理なのかもしれないけど、よく考えたらすごい矛盾なんじゃないかと思う。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年3月22日
最近よく考えていることです。
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世界が変わって見えるほど感動した言葉も、ずっと続いてほしいほど幸せだった時間も、その大半はいつの間にか記憶から消えてしまう。でもそれらは本当に消失したのではなくて、気づかないうちに自分の中のどこかに溶け込んで、今の自分を形作る一部になっているんだと思う。それだけ心が動いたのなら。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年3月23日
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考えてみたら僕の行動原理って、「なりたくない自分にならない」っていうところに集約されるかもしれない。逆に、なりたくない自分にさえならなければ「なりたい姿」にはならなくてもいい、みたいな。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年3月24日
「プラスを追及する」のではなく、「マイナスを排除する」ような生き方です。
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ネットの発達で昨今いっそう活発化している「知恵やノウハウが共有され深められさらに広められていく」みたいな風潮を見ると、人間の集合知やら無意識やらの奥深くに全人類共通の「正答」や「理想」みたいなものがあって、長い時間をかけて人はそこに到達しようとしているのかな、なんて思ったりする。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年3月25日
学校で勉強するのも、ネットなどで知恵が共有されるのも、「絶対的正解」みたいなものに近づくためなのではないか、と思わなくもないです。
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小さい頃からいろんな感情を圧し殺して生きてきたので、「これは楽しいって思っていいのか?」とか「今は怒るのが正しい反応なのか?」とかいうことをいちいち考えてしまう。感情の正解を探してしまうというか、圧し殺しておけば間違いにはならないだろうというか。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年3月26日
「圧し殺してきた」というと少し語弊があるかもしれませんが、少なくとも感受性豊かなほうではないです。
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そういえば僕は順序立ててリスト化されているものを順番に見れない(1から10までの項目があったら10から読んだり3~9あたりを飛ばしたりしてしまう)ことがよくあるし、文章を書くときも中盤部分を最後に書くから「気づいたらできていた」ことが多いし、そもそも普段から思考がとっちらかりがちだった。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年3月27日
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「あなたは何も間違ってないよ」とか「自分の生きたいように生きなよ」などといった優しい言葉が世の中にはたくさんあって、僕はまさにそういう言葉が刺さる境遇にあるし自分でも言っていきたいけど、僕は社会的に一切認められていないので何を言っても幻想か負け惜しみにしかならない気がしてしまう。
— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年3月28日
本当にこれなんですよ。
僕みたいにこれまで何もしてこなくてろくに成果も出していない奴が、こういう言葉の優しさに甘えて、あるいはこういう言葉を発信していいのだろうかと。
「何するにも遅すぎることはないよ」とか「こんな生き方もあるんだよ」とか「今はゆっくり休むときだよ」とかいう言葉も、すでに一定の評価を得ている人だからこそ言える言葉であり、ある程度の地盤を築いてきた人でないと受け止める資格がないんじゃないか、と思うのです。
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とりわけ創作って「自分を好きなように表現できる」というけど、絵にしろ小説にしろ音楽にしろ映画にしろ何においても一定の〝作法〟のようなものは存在して、それを守らないと誰にも理解してもらえない。
だから真の独創性なんていうものはきっとありえないし、あるとしたらそれは孤独なんだと思う。— 脳内航海士 (@Ju1yWhite__) 2018年3月30日
似たようなことを数日前にも呟いていますね。
創作って「正解はない」とよく言われますが、それでもなぜか「不正解」はあるんだよな、と常々感じます。
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