
──雪どけの花が開く頃、僕の目に映る音は何色だろうか?
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◆ 第25章①
二十歳の冬、一月。僕は成人式に出席していた。
地元の会館に、同じ市の出身の新成人が一堂に会している。
中には別の中学から同じ高校に入っていた同級生もいた。ちなみにpaletteメンバーは、僕以外は四人とも別の市の出身だったのでこの場にはいない。
式典には全員が来ていたわけではなかったが、それでも大多数の同級生たちと再会できた。
男子の中には、見上げるほどの長身になった人や、すっかり恰幅のよくなった人もいる。女子はほとんどが、成人式仕様の晴れ着やメイクで見違えるほど美人になっていた。
とはいえ顔には面影があったし、話してみると声も口調も中学時代とさして変わりはないように思えた。
僕はというと、中学卒業時から背格好にほとんど変化がなかったので、友人たちからは「お前どこが変わったの?」「全然変わってないな」という評価をもらった。
それでよかった。老けて見られるよりは断然いいし、何より今の自分の姿が、絵梨奈の記憶の中にあるであろう僕の姿と相違ないのだから。
近況を聞いてみると、彼らは、大学生、専門学校生、社会人、フリーターなど、さまざまな肩書きをもっていた。
サッカー部の元エースが美容師の専門学校に通っていたり、野球部の元四番バッターが東京で料理人の修業をしていたり。あの子は芸能活動をしているだとか、あの彼は自衛隊に入隊したらしいとかいう話も耳にした。高校は僕よりワンランク下だったのに僕よりレベルの高い大学に進学していた人もいれば、すでに結婚して子供が生まれているという人もいた。
もちろん、中学時代の思い出話にも花が咲く。
あんな出来事があったよね。当時はあのアニメやゲームが流行っていたっけ。五年経って振り返ってみると、共通の話題というのは案外出てくるものだった。
中学時代、いい思い出は決して多くないと思っていたが、五年という歳月が、いいことも悪いことも笑い飛ばせるよう巧妙に風化してくれたのかもしれない。
成人式にはもちろん、絵梨奈の姿もあった。
絵梨奈と再び会えることは、間違いなく楽しみだった。
成人式が彼女と話す絶好の機会なのも間違いなかった。
けれど僕は、彼女と言葉を交わすことにまだ不安があった。
音楽に色が見えなくなったことだけは、やはり知られたくなかった。会話をしたら何かの拍子に感づかれてしまう気がしていた。
幸い、絵梨奈も友人たちとの話に興じているようだったので、こちらから話しかけに行くことはしなかった。
式典は午前中で終わった。
夕方からは駅前のホテルのパーティルームに場所を変え、同窓会という名の二次会が開かれる。
ホテルに移動するとき、朝から晴れていた空に分厚い雲がかかり始めていたのが、妙に気になった。
*
二次会は立食形式のパーティだった。
ここは同じ中学の同窓生のみが参加する場となっていた。
僕を含む男子は着替えずスーツのまま来ていたが、女子は振袖からパーティドレスに着替えていた。
五年前に僕たちの学年を受け持っていた先生たちの姿もあった。ほとんどが別の学校に赴任していたにもかかわらず、この会場には全員が集結していた。
教え子たちが成人したものだから、先生たちも心置きなく酒を飲み交わしていた。
しばしの歓談や先生方のお話のあと、部屋の照明が暗くなった。
二次会の余興、スライドショーの上映が始まった。
パーティルーム前方のスクリーンに視線が集まる。
映し出されるのは、僕たちの中学時代の思い出を切り取った写真たちだ。
卒業アルバムに載っていたような、学校生活、授業風景、行事や部活動の写真の数々。それらが数秒ごとに切り替わっていく。BGMは僕たちが中学生だった頃の流行歌だ。
一枚投影されるたびに、あちこちで歓声が上がったり、当時を懐かしむ言葉が聞こえたり、笑いが起きたりする。中には涙を浮かべている先生もいた。
僕も当時に想いを馳せながらそれを眺める。
一方で、自分の写真が出てきやしないか、そのとき周囲からは何を言われるだろうか、という不安も感じていた。
僕は手に持っていたウーロン茶を一口飲むと、グラスを近くのテーブルに置いた。
あれだけ頭がよくてピアノが上手かった黒川湊は、二十歳になった今、さぞいい大学に行って華々しく活躍しているだろう。そんなふうに思われている気がした。
とてもじゃないが、僕は彼らの期待に応えられるほど褒められた人間にはなっていない。
高三の夏以降、音楽のやる気の低下に比例するように、僕はそれ以外のことにも身が入らなくなっていた。
大学に入ることはできたが、それで意識が大きく変わったわけでもない。
留年しないように、どうにか単位だけは取得した。
あいちゃんと一緒に卒業する約束をしてしまったし、親に学費を出してもらっているからとか、今後の人生で周囲に後れをとってしまうからという理由もある。
けれど、貪欲に学びに行くような姿勢は持ち合わせていなかった。大学に入ってから始めたアルバイトに関しても、似たようなものだった。
留年しないための最低限の学業と、生活費を稼ぐための最低限のアルバイト。
これで旅行にでも行って見聞を広めたりするならまだよかったかもしれない。
しかしながら、僕は旅行というものも好きではなかった。
仲のいい友人と一緒に行くとしても、知らない場所にはただ不安しか感じなかった。遠足や修学旅行だって、慣れない景色や宿泊先に戸惑っているうちに時間が過ぎていた。
僕は変化が苦手な人間なのだ。
なんだかいたたまれなくなってきて、僕はこっそり人の輪から離れた。
パーティルーム後方、出入口の扉の付近はがら空きだった。
壁際には椅子が並べられている。立食形式にするにあたり、椅子を端に寄せたのだろう。
その中の一つにでも座っていようかと思ったら、先客がいた。
絵梨奈だった。
淡いピンクのドレスに、フリルのついた白いボレロ。膝の上にはドレスに合わせたハンドバッグ。編み込まれた後ろ髪を、薄紫色の花の髪飾りが彩っている。
華やかなメイクとアクセサリーは、小学生の頃にピアノの発表会で見た姿よりもナチュラルになじんでいた。
絵梨奈は俯いてスマートフォンを操作していた。心なしか、あまり顔色がよくないように思えた。
僕はしばらくその場に突っ立ってしまっていた。
すると僕に気づいたのか、絵梨奈が顔を上げた。
「湊? どうしたの?」
バッグにスマートフォンをしまいながら、絵梨奈が尋ねる。
「まあ、特に何もないんだけど」僕は彼女の右隣の椅子に座った。「絵梨奈は何かあったの?」
「うん……ちょっと、疲れちゃって」
「一日がかりだしね。女の子はほら、着物の着つけっていうの? あれでほんとに朝早くから──」
「ああ、いや、そうじゃなくて」
絵梨奈は中途半場に言葉を切った。何か言葉が続くかと思い様子を窺ったが、彼女は何も言ってこなかった。
代わりに僕のほうから切り出した。
「絵梨奈も変わってなくて、安心したよ」
僕としては、それはフォローのつもりだった。
絵梨奈を少しでも元気づけるための言葉のつもりだった。
けれど予想に反して、絵梨奈はショックを受けたような反応を示した。
「……変わったと、思ったんだけどな」
メールでのやりとりも二年くらいしていなかったので、絵梨奈と言葉を交わすのは本当に久しぶりだった。
久しぶりに話をした僕たちは、どこか波長がずれているような感じがした。
遠くに群がっている同級生たちに目を向け、絵梨奈は口を開いた。
「変わらないことを求められる空気が、ちょっとしんどかったっていうか」彼女の口調はあくまでも穏やかだった。「二十歳になったら、もっとみんな変わってて、変わりたいと思ってるものかと思ってた」
僕は自分が変わっていないと思っていて、変わっていないと言われたことに安心していた。たぶん、変わらないことを無意識のうちに相手にも求めていた。
絵梨奈の考えは、そんな僕とは真逆のものだった。
「私ね、今、看護師を目指してるんだ。大学の看護学科に通ってる」
最近始めた趣味を話すように、絵梨奈が言った。
一瞬、言葉に詰まってしまった。
「……へぇ、看護師か。すごいじゃん」僕は努めて明るく取り繕った。
今後は実習などもあり、最終的には国家試験を受けることになる。一方で、看護師になるしかほとんど道は残されていない。絵梨奈はそんなことを話していた。
僕は適当に相槌を入れることしかできなかった。
真っ先に出てきたのは、置いていかないでくれ、という気持ちだった。
本来なら、ためらいなく前向きな言葉をかける場面だろう。彼女が目標を見つけ、それに向かって精進しているなら、それは応援するべきことだ。
それなのに、素直に喜ぶことができない自分がいた。
絵梨奈が僕の知らない何者かになってしまうことが怖かった。
今まで絵梨奈がどんなに成績がよくてもどんなにピアノが上手くても、彼女に対してこんな感情を抱いたことはなかった。
僕は絵梨奈と対等だと思っていた。
絵梨奈は僕と同じでいてほしいと思っていた。
たとえばスポーツの世界では、僕と同じ年齢の選手がすでに世界で活躍していたりする。けれどそのようなトップアスリートを見ても、劣等感はまったく感じない。住む世界が違いすぎるからだ。
相手との距離が近いと思うからこそ、嫉妬や羨望を感じてしまうのだろう。
「湊は大学で何してるの? 何か目指してるものとかはあるの?」
絵梨奈の問いに、僕ははっきりと答えられなかった。答えられるだけのことを学んでいなかった。
幸いなことに、絵梨奈は「まだこれからだよ」とフォローを入れてくれた。僕を見下すことも、拒絶することもなかった。
その優しさが、僕の胸を締めつけた。
「湊も、変わったと思う」
「そうかな? 今日会った友達はみんな、僕は変わってないって言ってたけど」
「まあ見た目はそうかもしれないけどね」絵梨奈はクスリと笑った。「でも中学のときに比べたら、すごく変わったよ。大人っぽくなった。高校時代、バンドでステージに立ってる湊を見て、そう思った」
それから思い出したように、「今はバンドやってないの?」と絵梨奈は尋ねた。
「やってない」僕は短く答えた。
「……そうだよね。あんなことがあったんだもんね」
ごめん、とつけ足す絵梨奈に、いいんだよ、と僕は返す。
あんなこと、というのは、高校三年の夏、ライブ中にステージの上で倒れたことだろう。
けれど、バンドをやっていない本質的な理由はそこじゃない。
絵梨奈は僕が音楽の色を見られなくなったことも、僕が音楽そのものから遠ざかっていることも知らない。
僕はそれを伝えなかった。
絵梨奈にとってのヒーローであるための、せめてもの意地だった。
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