【小説】『白と黒の雪どけに』Film.2 第23章①

Film.2 ~ブループリント~

 
──雪どけの花が開く頃、僕の目に映る音は何色だろうか?
 
前 → 『白と黒の雪どけに』 Film.2 ~ブループリント~ 第22章
 
最初 → 『白と黒の雪どけに』 Film.0 ~プロローグ~
 
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◆ 第23章①

 ミューブレから一カ月あまりが過ぎた。
 夏休みに入り、僕たちは受験勉強や模擬試験に追われていた。
 しかしながら、九月の文化祭に出るなら少しでも練習はしておかなければならない。
 あの日僕に起こった変化。それはまだ誰にも打ち明けていなかった。
 スタジオに向かうまでの間、背負っているシンセがやけに重く感じた。

 大会後、初めてのスタ練。五人が集まるのも一カ月ぶりだった。
 さっそく一曲演奏してみる。
 曲が始まった瞬間、違和感が押し寄せてきた。
 予想はしていたが、耐えられなかった。二小節目に差しかかったあたりで僕の手は完全に止まってしまった。
 僕はいったん演奏を中断させた。
「湊、どうしたの?」
 あいちゃんが首をかしげる。ほかの三人も、僕の様子がおかしいことに気づいているようだった。
「……なんでもないよ」僕は平静を装った。「ごめん、もう一回やろう」
 もう一度、同じ部分を演奏する。
 最初の一音で、やっぱりだ、と思った。
 三小節ほど弾いたとき、再び手が止まってしまった。
 ──あるはずのものが、ない。
 僕の中に起きた変化はまぎれもなく現実のものだった。
「おい、大丈夫か湊」今度はトイチに訊かれる。
「ご、ごめん。……今度こそ、ちゃんとやるから」
「そうじゃない。酷い顔色じゃねぇか」
 トイチに指摘されて気がついた。
 手が震えている。息が乱れている。一カ月前、あのステージの上で見た光景がフラッシュバックした。
 スタジオの中は冷房が効いているはずなのに、炎天下を走ってきたかのように汗だくになっていた。
 足に力が入らなくなって、僕はその場に跪いた。
「ちょっと、休んだら、すぐやれる、から…………」
 あえぐように話す僕に、あいちゃんが慌てて近寄ってきた。
「そんな状態の湊、ほっとけないよ」
 あいちゃんはシンセの手前側に回り込んできて、僕に目線を合わせるようにその場に膝をついた。
「無理しないでください、湊さん」とキスケ。
「大丈夫? どこか調子悪いの?」と翠ちゃん。
 二人とも、先ほどまで肩にかけていた楽器を傍らに立てかけていた。
 全員が僕を見ていた。
 彼らの視線を振り払うように、僕は首を振った。
「これは僕の問題だから、みんなは、気にしなくていい」
「何かあるなら言ってくれ」トイチが椅子から立ち上がった。「もし悩みでもあるなら、俺たちにも共有させてくれよ」
「言ったでしょう? この前棄権することになったのは、私たち全員が招いた結末だって。湊くんの不調は、私たちにも責任があるわ」
 翠ちゃんにも説得され、さすがに打ち明けるしかないか、と観念した。
「…………わかった。話すよ」
 僕は四人の視線を受け止めた。

「──色が、見えなくなったんだ」

 彼らが息をのむのがわかった。僕はこう続けた。
「大会が終わってから、どんな曲を聴いても、何を弾いても、色がまったく見えない」
 あの日起こった変化。それは、音楽に色が見えなくなったことだった。
 日常的に見える色になんら変化はない。視力にも色覚にも異常はない。
 ただ音楽から色が消えたのだ。

 最初に声を発したのはあいちゃんだった。
「別に、色が見えないなんて普通じゃん。たったそれだけのこと──」
「そうじゃないんだよ!」
 つい強く言ってしまった。僕の剣幕にあいちゃんがひるむ。
 僕は謝ろうとしたが、それより先にあいちゃんが反発してきた。
「わかんない! 音楽に色が見えるってなんなの? そんなにすごいことなの? 私には──湊以外にはわかんないよ!」
 これに答えたのは翠ちゃんだった。
「あいちゃんにとっては些細なことに思えるかもしれないけど、湊くんにとっては重要なことなのよ。……そうでしょう? 湊くん」
 僕は頷いた。翠ちゃんが僕の味方をするのは予想外だったのか、あいちゃんは戸惑いを隠せない様子だった。
 あいちゃんとしては、「たったそれだけ」という言葉は親切心から出たものだったのだろう。
 けれど僕にとっては、断じてそうではなかった。
 ちょっと手が滑ってシャーペンを落としたとか、芯がなくなったから補充すればいいとか、そんな程度のものだと捉えてほしくなかった。
 当たり前にあったもの──僕にとってはアイデンティティともいえるものだ──が唐突に消える。
 それはまるで、有無を言わさず体の半分が削り取られたようなものだった。
「相澤さんも、湊さんも、いったん落ち着きましょう。ね?」
 キスケがなだめるが、彼には目もくれずあいちゃんは声を震わせた。
「翠ちゃんもキスケも、どうしてそんなに落ち着いていられるの?」
 キスケはゆっくりと息を吐き、語り始めた。
「俺は湊さんの気持ち、わかる気がするんです。いや、わかるって言ったら失礼かもしれないですけど……。俺も友人を亡くして、こう……昔からなじみのあったものを突然失うっていう感覚は、体験しましたから」
 キスケには同情する。あいちゃんほど認識のズレはないだろう。けれど、僕とキスケではどこか根本的な部分が違うような気もした。

 今度はトイチが問いかけてきた。
「……それで湊、文化祭は出れそうか?」
 僕は答えることができなかった。
「大丈夫だよね? 出るって言ってよ」あいちゃんが僕に縋りつく。
 僕は答えることができなかった。
「やれるかやれないかを答えてほしい。怒ってるわけじゃない。正直なところを教えてくれ。どんな答えだろうと、俺は受け止めるつもりだ」
 しばらく考えて、僕はようやく言い切る勇気を振り絞れた。
「…………やれない。無理」

 トイチは一言、「わかった」と答えた。ゆっくりと噛み締めるような、重い声だった。
 それから彼は全員に向かって言った。
「じゃあ文化祭には湊以外の四人で出ようと思うが、いいな?」
 僕が首を縦に振ろうとした。
 その瞬間、あいちゃんが「嫌だ」と言い放った。
「私たちは五人揃ってこそpaletteでしょ? 湊がいないなら、私はやりたくない」立ち上がって訴えるあいちゃん。
 キスケが手を挙げ、割って入ってきた。
「五人でpaletteっていう点は、俺も相澤さんに同意します。四人で出るくらいなら解散でもいいんじゃないかって、俺は考えてます」
「解散?」眉をひそめるトイチ。「ちょっと待て、あのライブを最後にpaletteを終わらせるってのかよ」
「私も解散はしたくない」あいちゃんも言い返す。「そして四人にもならない。paletteは続ける。五人で! そのためにも、湊にも文化祭に出てもらう」
「じゃあ湊くんが立ち直れるまで、paletteは休止ってことにすればいいんじゃない? 解散じゃなくて」翠ちゃんも会話に入り込んできた。
「でもずっと色が見えないままだったら、事実上解散ってことにならねぇか?」とトイチ。
「それもそうね」翠ちゃんは腕を組んだ。「だけどトイチくん、私も、四人でステージに立つくらいならやめたほうがいいと思う」
 そして、未だに跪いている僕を見て言った。
「湊くんはきっと、色が見えなくなった自分をまだ受け入れられてないだけなのよ」
 あいちゃんが再び腰を落とし、僕と向き合った。
「私たちは現に、色なんて見えなくても音楽ができてる。湊もきっと大丈夫。だからpaletteを続けるためにも、湊も頑張って──」
「あいちゃん、そういうことじゃないの」すかさず翠ちゃんが遮る。「これは努力じゃどうにもならない話だと思う。私は、湊くんには時間が必要だろうから休止にしようって──」
「だと思うとか必要だろうとか、そんなの想像じゃん! 翠ちゃんまで何言ってんの!?」
 驚きと悲しみが混ざった目で、あいちゃんは翠ちゃんを睨みつけた。
 ひと呼吸置いてから、あいちゃんは僕に向かって話を続けた。
「……去年私がpalette辞めたいって言ったの、覚えてる? あのとき、湊がいてくれたから、私はもう一度ステージに立てたんだよ。……だから湊も、またステージに立ってよ!」
「でも無理させるわけにはいかねぇだろ」トイチが食いついてくる。
「多少の無理はしかたないよ!」あいちゃんが勢いよく立ち上がる。「今すぐは駄目でも、文化祭まではあと一カ月半ある」
「その期間でどうにかなる保証はねぇだろ! それに、またこの前みたいに演奏中に倒れたらどうすんだよ。一番つらいのは湊だろ。だから文化祭は四人で──」
「でもトイチ!」今度はキスケだ。「四人でステージに立つ意味はあるんですか!? 潔くpaletteはここで終わりにしましょうよ!」
「みんなふざけないでよ!」あいちゃんがこの日一番の大声を張り上げた。「私のことはステージに上げたくせに、湊だけ下ろすなんて、ふざけんな! 文化祭も卒ライも、絶対に五人で出る! 解散も休止もしない! ふざけんな!」
 声がシンバルを震わせた。ビリビリとした音がスタジオ内に反響する。
 肩で息をして、目に涙をたたえて、あいちゃんは僕を見下ろした。
「……湊、またライブやろうよ」

 僕は何もできず、四人が言い争うのをただ聞いていた。
 あいちゃんは僕も含めて五人でステージに立ちたいと思っていて、一方でトイチは僕を除いた四人でライブをやるべきだと話している。ただ、この二人は「paletteを存続させたい」という意見は共通している。
 それに対して、翠ちゃんは僕が立ち直れるまでpaletteは休止させようと主張していて、キスケはいっそ解散でいいのではないかと言っている。この二人について共通しているのは、「paletteをこのまま存続させることはできない」という意見だ。
 四人の立場が、それぞれ微妙に食い違ってしまっていた。
 こうなってしまっては、もう僕が意志をぶつけるしかない。
 実のところ僕の中ですでに明確な考えはあったのだが、僕は言うのを控えていた。
 その言葉は、きっと僕たちの仲を決定的に引き裂くことになる。そんな気がしたからだ。
 けれど、言うしかなかった。
「僕は──」

 ミューブレの翌日の夜、絵梨奈から受け取ったメールを思い出す。

 そのメールの内容は、要するに僕の身を案じているものだった。
 当日はとてもそこまで頭が回らなかったが、考えてみれば絵梨奈も、ステージ上で倒れる僕の姿を見ていたのだ。彼女にも心配をかけてしまっていたことを、僕は改めて自覚した。
 僕は、一日でなんとか容体は落ち着いたこと、それから、九月に文化祭で最後のライブをすることを伝えた。
 すぐ絵梨奈からから返信が来た。

『本当に大丈夫ならいいんだけど、ときには引き下がることも必要だよ。
 ステージに立つ湊は見たい。
 だけど、昨日みたいな苦しそうな湊は見たくない。
 無理してまで弾くくらいなら、ライブには出なくてもいいと思う。
 元気な湊に会えることが、一番だから』

 読んだ瞬間、視界が潤んだ。胸の奥が温かくなった。
 それでも、このときはまだ文化祭ライブには出るつもりでいた。文化祭が終わるまでは耐えなければ、と思っていた。だからスタ練にも来た。
 けれど僕たちの間に亀裂が入りかけた今、やはり僕は僕の気持ちを示さなければならない、と思った。
 paletteはバラバラになってしまうだろうが、これ以上彼らが争うことはなくなるはずだ。
 絵梨奈が許してくれるなら、僕は音楽から遠ざかることも厭わない。

「──僕はもう、音楽なんてやりたくない」

 重い沈黙が流れた。
 どのくらい時間が経っただろうか。
 わかった、と、小さな声でトイチが言うのが聞こえた。
「たしかに、俺たちは五人揃ってこそpaletteだ。そこは俺が間違ってた」
 トイチは荷物をまとめて帰る準備を始めた。
 キスケと翠ちゃんも彼に従った。
「だから、湊がこうなってしまった以上、paletteは文化祭ライブも卒業ライブも出ない」
 彼らだって、ライブに出たかったに違いない。
 申し訳ない。でも、しかたない。
 僕は彼らの様子を、呆然と見守るしかできなかった。
「もう練習もこれっきりでいいだろ」
 トイチがスタジオの扉のほうへ歩いていく。僕も片づけを始めた。
 あいちゃんだけが一人、その場に立ち尽くしていた。
「みんな、ねぇ、ちょっと待ってよ。考え直してよ」
 右往左往するあいちゃんを、僕は手で制した。
「何度も言わせないでよ。僕はもう音楽は辞める」
 キスケもギターを、翠ちゃんもベースを背負う。
「今こんな状況で、また俺らライブなんてやれるんですか」低い声で吐き出すキスケ。
「湊くんの感覚を知らない私たちに、湊くんを救うことなんてできないのよ」翠ちゃんが物憂げに漏らす。
 トイチがドアの前で、肩越しに僕たちを振り返った。
「……俺たちは最初から、すべて間違ってたのかもしれないな」
 
 
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