
──雪どけの花が開く頃、僕の目に映る音は何色だろうか?
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◆ 第20章
卒業ライブ当日を迎えた。
メールに書かれていたとおり、絵梨奈が来ることはなかった。
けれど、学校の友人は想像以上に多く集まっていた。別のライブで対バンした他校の知り合いも来てくれていた。中にはCDを聴いてライブを見に行きたくなったという人もいた。
僕たちは二年生の中でトリを努めた。僕は絵梨奈に言われたとおり全力で演奏した。
キスケのギターの音も、明るい色を取り戻していた。
結果として、ライブはじゅうぶんに成功といえるものになった。
このあとは三年生の先輩たちのパフォーマンスが続く。僕たちは楽屋にいったん楽器を置き、客席に戻った。
paletteの次のバンドの出番が終わった、転換中のことだった。
僕、トイチ、キスケで固まっていたところへ、一人の男性がやってきた。
「paletteのみんな、お疲れ様」
「
「いやいや、忙しいだなんてそんな。僕はしがない楽器店員だよ」
萩谷さんは、僕たちがいつもお世話になっている楽器店のスタッフだ。年齢は三十代半ばくらいで、温厚な顔立ちと性格の男性。二年も店に通っているので、僕にとっても顔なじみの人だった。
「萩谷さん、俺らのライブどうでした?」
キスケの表情も声色も、すっかり晴れやかになっていた。
「見せてもらうのは初めてだったけど、みんなレベル高いね。あぁそれから松田くん、CDもありがとう。あとでじっくり聴かせてもらうよ」
「ありがとうございます」
トイチが答える。後日彼から聞いたが、用意していたCDはありがたいことにすべて捌けたのだそうだ。
「それと、ミューブレには次も出るんだろう?」
「ええ、そのつもりです」
トイチと萩谷さんはプライベートでも会うほどの仲らしく、ミューブレに出るようトイチに勧めたのもこの萩谷さんだという。外見からはなかなか想像できないが、萩谷さんも社会人の仲間同士でバンドをやっているそうだ。
「前回は残念だったね。でも今度は期待してる。さっきのパフォーマンス見てたら、次は本当にいけるんじゃないかって思えたよ」
「ありがとうございます。頑張ります」再びトイチが返す。
「そうそう、アドバイス、って言ってはなんだけど……」萩谷さんは顎に手を当てた。「さっき見てても思ったんだけどさ、paletteには、実力はあるんだけど、バンドとしての個性が弱いかなって気がするんだ」
「バンドとしての個性、ですか」キスケがおうむ返しに言う。
「うん、演奏は高校生とは思えないくらい上手いから、あとはどこか一つ、誰にも真似できないところっていうか、君たちの色があると、もっとよくなると思う」
色、と聞いて僕はつい反応してしまった。
「それは、どれかの色が濃すぎるってことですか? それとも何かの色が欠けてるとかですか?」
僕の言葉に、萩谷さんはぽかんとしていた。
しまった。これは文脈から考えて、個性という意味の「色」だろう。
萩谷さんの返事を待たず、僕は訂正した。
「あ、すみません、色っていうからてっきり……」
「あぁ萩谷さん」トイチが口を挟む。「湊、音に色が見えるんです」
「えっ、どういうこと?」
萩谷さんが目を見開いた。今度は僕の口から説明する。
「音楽を聴くと、赤とか青とかの色が浮かび上がってくるっていう感じです。自分が演奏してるときも見えてきます」
萩谷さんは一転、ぱっと明るい表情になって僕に食いついてきた。
「なにそれ、すごいじゃん! それだよ! それ活かさなきゃもったいないよ!」
「僕に見える色を、ですか?」
「黒川くんはキーボードだったよね。キーボードの多彩な音に加えて、君のその感覚。それはpaletteの大きな力になるはずだよ」
「そ、そうでしょうか……」
今度は僕がぽかんとしてしまった。
僕の感覚は、バンドに向いているかもしれないとは思っていたが、大きな力になるとまでは考えたことがなかった。
そうこうしているうちに、ステージ上のセッティングが終わったようだった。
「あ、そろそろ次が始まるね。じゃあ僕は後ろにいるから、高校生のみんなは前のほうで楽しんできてよ」
そう言って、萩谷さんは去っていった。
*
卒業ライブの全日程を終え、僕たちはライブハウスを出た。
五人集まったところで、トイチが「なぁ湊」と呟いた。
「何?」
僕が尋ねると、トイチは思いがけないことをもちかけてきた。
「作曲やってみねぇか?」
「さ、作曲?」僕は思わず訊き返してしまった。「どうして僕が?」
「さっきの萩谷さんの話で、改めて、俺たちに足りないものはなんだろうって考えてみたんだ」
僕たちの演奏の直後、萩谷さんが言っていたことを思い出す。
いわく、誰にも真似できないところがあるといい、音楽に色が見えることを活かすべきだ、と。
トイチは続けた。
「萩谷さんの言ってたとおり、湊のシンセと、音楽に色が見える目ってのは、間違いなくpaletteの武器になる。だけど今までは、それを活かしきれてなかったんじゃないかと思ってな」
「でも、僕が作曲までやる必要はないんじゃ……」
「正直言うと、俺のアイデアだけじゃ限界がある。それこそブレイクスルーを起こすなら、キーボード主体の曲があってもいい気がするんだ」
「あー、そっか」あいちゃんが口を挟む。「たしかに今までの曲って、ギター、ベース、ドラムがわりとできてきたところに、キーボードが入り込んでいった感じだったよね」
「援護射撃みたいな役割だったシンセの音を、思いっきりメインウェポンにしちゃえってことですね」とキスケ。
「一理あるかもね」翠ちゃんも頷く。「覚えてるでしょ? ホワイトアウト。あの四人を超えて全国に行くことを考えるなら、彼らにない要素、つまりキーボードは大きな鍵になりそうよね」
「なるほど……」
僕は考え込んでしまった。ここまで言われると、やってもいいかな、とも思えてくる。
「もちろん俺たちだって、できる限りのサポートはする。アレンジはこれまでどおり全員で固めていけばいい。とりあえずメロディとコードだけでもどうだ?」
トイチが再び提案した。
「いいじゃん湊、やってみようよ!」
あいちゃんも声を弾ませる。
けれど、この時点ではまだ決めることはできなかった。
*
曲を作らないかという提案を、僕はいったん保留にさせてもらった。
僕としても、やりたくないわけではなかった。けれど、僕なんかがやれるのか、やっていいものなのか。その自信がもてなかったのだ。
やるにしろやらないにしろ、早く決断するに越したことはないだろう。どうしたものか。
そんなことを考えていた矢先、絵梨奈からメールが来た。
卒業ライブを見に行けなかったことに対する謝罪と、それに続いて、次のようなことが書かれていた。
『またライブがあったら呼んでください。
今度は時間を作って、必ず見に行きます。CDもほしいから』
嬉しさで胸が詰まった。
同時に、迷いがぱっと消えた。
そうだ。絵梨奈が見に来るなら、作曲に挑戦する価値は十二分にある。
四月以降、大会の前にもライブに出る予定はあったが、僕の作った曲を披露するとしたら七月の大会だ。見に来てもらえるなら、ここに誘わない手はない。
僕は、七月にコンテストを兼ねたライブがあることを伝えた。
また絵梨奈から返信が来た。
その文面の最後には、こう綴られていた。
『応援してます。頑張ってね、私のヒーロー!』
作曲をする決心がついた。初めてだが、やれるだけやってみよう。
僕はすぐにpaletteのメンバーにも連絡を入れた。
*
それから、僕は曲作りに打ち込んだ。
僕にとって初めての作曲は、はっきり言って困難を極めた。
これまで僕は、楽譜と、音から浮かび上がってきた色を見ながら指を動かしていた。
楽譜に書かれた旋律を弾くことで見える色、トイチが作ったデモ音源から見える色、バンドの音にボーカルが乗ることで見える色。それらをもとに僕は鍵盤を弾いていた。
たとえるなら、絵の具は与えられていて、その絵の具をどう使っていくかが問われる作業だった。
けれどゼロから曲を生み出すのは、言ってみれば絵の具そのものを作る段階から絵を描いていくようなものだ。
それはこれまで僕が経験してきた音楽とはわけが違った。
それでもトイチが、キスケが、あいちゃんが、翠ちゃんが力を貸してくれた。
作曲の理論については、トイチが本を貸してくれたし、中学時代に春子先生からも教わっていた。
何より、絵梨奈に聴いてもらえるのだ。そのことが最大の原動力になっていた。
*
気づけばあっという間に時間は過ぎていた。
新曲もようやく完成し、僕たちはこの日、スタジオで大会前の最後の調整をしていた。
翌週にはミューブレの県予選が控えていた。
大会で演奏するのは二曲。
一つは、二年生の秋頃にキラーチューンとして作った曲。
もう一つは、僕が作曲し、paletteの五人でアレンジを固めた曲だ。
僕なりに力を尽くしたつもりだ。自分で言うのもなんだが、最後の大会での勝負曲にふさわしい仕上がりになったと思う。
「──よし、最終確認だ。二曲目、もう一回合わせるぞ」
気合いの入った声でトイチが呼びかける。僕たちもいっそう気を引き締める。
僕は呼吸を整え、鍵盤に指を置いた。
イントロは僕のソロだ。ピアノの音から始まり、そこにあいちゃんの声が乗る。
群青、紫、茜色。朝焼けの空を思わせる色が、次第に明るい青へ近づいていく。
トイチ、キスケ、翠ちゃんも入り、一気に音が勢いを増す。
視界が開けた。舞い上がる音符は色とりどりの羽のようだ。
ギターとエレキピアノのかけ合いを軸に、流れるように曲は展開していく。
いくつもの色が寄せては返し、現れては消え、重なり合ってはまた離れる。
強弱や緩急をつけながらも、歌も楽器も、曲全体のスピード感は壊さない。
自由自在に色を混ぜ、ただ思うまま、僕たちはキャンバスに情景を描いた。
そして、高揚感を保ったまま曲は終わる。
これが僕たちの色。僕たちの音楽なのだ。
もう六月も終わろうとしていた。
僕たちはいよいよ、高校生活最後の夏を迎える。
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