【小説】『白と黒の雪どけに』Film.1 第10章②

Film.1 ~雪が溶けると~

 
──雪どけの花が開く頃、僕の目に映る音は何色だろうか?
 
前 → 『白と黒の雪どけに』 Film.1 ~雪が溶けると~ 第10章①
 
最初 → 『白と黒の雪どけに』 Film.0 ~プロローグ~
 
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◆ 第10章②

  *

 最後の日だからか、何かいつもと違うことをしても許される気がした。
 伴奏と指揮ということで、僕たちはクラスから少し離れて、隣同士に座っていた。
 式の最中はさすがに話すことはできなかったが、閉式後、体育館から退場して教室に戻るまでのわずかな時間が、話しかけるチャンスだろうと思った。
「ちょっと話したいことがあるんだけど、いい?」と僕は切り出した。
 普段ならよくないことも、卒業式の日くらいは目を瞑ってもらえるんじゃないかという気持ちがあった。校則で禁止されている携帯電話も、中学最後の日くらいはいいだろうと思ってポケットに忍ばせていた。
 絵梨奈に止められることだけが懸念材料だったが、幸いそのようなことはなかった。
 彼女も僕と同じことを考えていたのだ、と思うことにしておいた。
 卒業式のあとは教室に戻って最後のホームルームという流れだったはずだが、僕たちは教室に戻らず、かといって校庭などでは悪目立ちしてしまうので、こっそりと校舎の裏へ向かった。
 そこは晴れていてもあまり日が当たらない。コンクリートと側溝と、誰が手入れしているのかわからない花壇や植え込みくらいしかない場所だ。

 さて、こんなふうに女の子と二人きりになったら、愛の告白などをしてしまうのがきっとお決まりのパターンなのだろう。
 たしかに僕にとって、絵梨奈はどこか特別な存在だった。
 けれど辞書に載っているような、あるいはほかの人が使っているような「好き」という言葉と比べると、そこまで僕の感情は強くないような気もした。
 じゃあ僕にとって、絵梨奈は何だったのだろう。
 そして絵梨奈にとって、僕はどんな存在だったのだろう。
 僕たちの間に、たいしたドラマなど何一つなかった。振り返ってみれば、すべて僕が勝手に舞い上がっていただけだったようにも思う。
 僕は肝心な場面で何も言えない。何もできない。
 あるいは、何も言わなかった。何もしなかった。
 本当に「好き」なら、きっとこうしているはずだ。そんなことがいくつも頭に思い浮かぶ。
 僕と絵梨奈の関係は、どういう言葉で表現するのが正解なのか。
 答えを出せるにはまだ時間がかかるだろうと、僕は考えていた。
 だから僕は、自分の気持ちについては何も言わないことにした。
 それに、言いたいことはほかにあった。

「卒業、おめでとう」
 ひとまず、当たり障りのなさそうな言葉を投げかけてみる。
「湊もね」絵梨奈がクスリと笑う。「県立の合格発表は明日だけど、自己採点した?」
「一応、合格ラインは越えた、と思う」と僕。
「じゃあ大丈夫だね」と絵梨奈。
 絵梨奈の言っていたとおり、この日は晴れていたが外は寒く、前日に降った雪はまだ随所に残っていた。特にここは日陰が多いので、校庭よりも名残雪が目立っていた。人通りが少ないからか踏まれたような跡も少なく、雪は比較的その白さを保っていた。

「あ、これって」
 ふと、絵梨奈が足元を見て呟いた。
 校舎の陰の植え込み。そこにその花があったのは偶然だった。
 スノウドロップだ。
 おかげで、言おうと思っていたことが言いやすくなった。誰にでもなく、僕は心の中で感謝した。
「東京って、スノウドロップは咲いてるのかな?」
「咲いてないんじゃないかな。たしか、寒いところにしか咲かないんでしょ?」
「だよね。……だからさ」僕は制服のポケットから携帯電話を取り出した。「写真送るよ」
 データフォルダを開き、一枚の写真を絵梨奈に見せる。
 一カ月ほど前に近所の空き地で撮った、スノウドロップの写真だ。
「これ、近所の空き地に咲いてたんだ。スノウドロップが咲く時期になったら、ここの写真を撮って、毎年、絵梨奈に送る」
 離ればなれになったら、僕のことは忘れられてしまうと思った。
 だから僕と絵梨奈をつなぎ止めるものがほしくて、共通の思い出に縋ることにしたのだ。
 スノウドロップという、この小さな白い花に。
 絵梨奈は驚きと戸惑いが混ざったような反応を見せたが、それも一瞬だった。
 僕の提案を、彼女は拍子抜けするほどあっさりと了承してくれた。
「雪どけの花。いいと思う」と、彼女は噛み締めるように言った。
 僕は礼を述べ、携帯のメールアドレスを伝えた。
「よかったら、僕のことも思い出してほしいな」ついでのように言った。どちらかというとこれが本題なのだが、まあそこは内緒だ。
「約束する。湊のこと、忘れないよ」僕の心を見透かしたかのように、優しく答える絵梨奈。「湊は私のヒーローだもん」
「ヒーロー、か……。僕はヒーローになれてたかな?」
「うん。立派なヒーローだよ。だって、その目があるじゃん」
「僕の、目?」
「湊はなんとも思ってないかもしれないけど、音楽に色が見えるって、すごく素敵なことだし、特別なこと。少なくとも私は、それに救われたよ」
 絵梨奈が視線を上に向ける。空は青く澄み渡っていた。
「これからも、きっと誰かの力になれると思う」絵梨奈が視線を再びこちらに向けた。「だから湊、その目に見えた色を大切にね」
「……わかった。ありがとう」
 絵梨奈の言葉を噛み締めながら、僕は答えた。

 ここで一つ、脳裏に閃いたことがあった。
「……リストの、『愛の夢 第三番』」
「湊が去年の発表会で弾いた曲だよね? それが?」
「あの歌詞はさ、恋愛のことじゃなくて人間愛のことだって、春子先生が言ってたよね」
「えっと……、『愛しうる限り愛しなさい』だっけ?」
 絵梨奈が思い出したようなので、僕は続けた。
「恋愛の歌じゃないなら、この『愛せ』っていうのは、自分の心に正直に生きなさいってことなんじゃないかな、って、ちょっと思った。……だから絵梨奈も、思うままに生きていいんだと思う」
 見当違いな解釈かもしれないし、もしかしたら使い古された言葉かもしれない。それでも絵梨奈には伝えたかった。
「心のままに生きるのが正しいこと、か。なるほどね」
 絵梨奈はここで少し間を置いて、何かを考えているようだった。
 再び口を開いたとき、彼女の口から出た言葉は、「雪が溶けると」。
「……だいぶ前だけど、春子先生が『雪が溶けると何になる?』って言ったの、湊覚えてる?」
 僕は頷いた。僕と絵梨奈が出会った日のことだ。小学校にも入る前だったが、忘れるはずはなかった。
 春子先生はその問題の答えを、「春になる」と言った。雪が溶けたら春はもうすぐそこということだよ、と。
「しばらくしてから、学校でも同じこと訊かれたよね」
「うん、それも覚えてる」
「違ってたらごめんね。湊はあのとき、『水になる』って答えたんじゃない?」
 そのとおりだった。
 とっさに言葉が出なかった。
 思考を巡らせた末に「水になる」と答えた僕が正解で、春子先生の言っていたとおり「春になる」と答えた絵梨奈は不正解となった。当時の担任の先生いわく、常識的な答えがどうとか。
「春になる」という答えに、ひっかけ問題だと思いながらも僕だって納得はしていた。加えて、絵梨奈の答えをバツにしてしまうのはどうなのか、という気持ちがあった。だから絵梨奈に僕の答えは教えていない。
「ど、どうしてそれを?」
「ふふっ、私と春子先生が話してる横で湊は何も言わなかったし、湊はそういう子かなって思った」
 もう気にしていない、というふうに絵梨奈は笑った。
「でもさ、あのときは『水になる』が正解だったけど、あれで本当によかったのかなって、僕、今でも……」
「それでよかったんだよ」
「えっ?」
 一つ、憑き物が落ちたような気がした。
 あぁ、そうなのか。僕は正しかったのか。
 僕は絵梨奈を正しいと信じてきたが、絵梨奈も僕のことを正しいと思ってくれていたみたいだ。
「それでいいんだよ、湊は」絵梨奈が繰り返す。
 いつだったか、絵梨奈も僕も自己というものが希薄で、しかし彼女のそれは何物にも染まっていない白さで、僕のそれは周囲に染められてしまった黒さだと思った。
 その考えに則して言うのなら、僕の正しさは真っ黒なものなのかもしれない。
 けれど、僕を正しいと言ってくれる人がいるのなら、それでいい。
「僕たちはもっと、思うままに生きていこう」
 少なくとも僕は、絵梨奈の「春になる」という解答も、いつかの集団授業ボイコットの日にとった行動も、将来のことを考えて選んだ高校も、すべて正しいと思っている。
「いつか、何もかもが正しかったねって、そんなふうに笑える日が来るって、信じてみてもいいのかな」校舎が落とす影の中、絵梨奈が微笑む。「……雪が溶けて、春がやってくるみたいに」
 彼女は日陰に咲く花のようだと思ったが、やはりこういう図が絵になるな、と思った。
 僕は足元に小さく積もっていた雪を踏んでみた。
 雪は溶けて水になった。
 上履き越しに、凍えるような冷気が足先に伝わってくる。
 手袋以外の防寒具を教室に置いてきてしまっていたことを、今さらのように思い出した。いいかげん体が冷えてきた。
 冷たく乾燥した空気。周辺には雪。木々の草花も、まだ芽を出しそうにない。三月とはいえ、桜の季節はまだ遠そうだ。
 それでも、雪はいつか溶ける。
 そして、春が訪れる。
「私たちは大丈夫」絵梨奈が右手を差し出してきた。「湊、高校に行っても頑張ってね」
「うん。絵梨奈も」
 僕は彼女の手を握り返した。
 ──心臓が、とくん、と高鳴った。
 たった今まで冷えていた体が、嘘みたいに温かくなっていた。
 気がつくと、人の気配はすっかりなくなっていた。卒業生も在校生も、とっくに教室に戻った頃だろう。
「じゃあ、僕たちもそろそろ戻ろうか」
 僕たちは校舎に戻り、別々の教室に向かっていく。
 明日からは、それぞれ違った道を歩むことになる。
 ──それでも。

 校舎の影で、雪どけの花が小さく揺れていた。

      

Film.1 ~雪が溶けると~ 了

 
 
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次 → 『白と黒の雪どけに』Film.2 ~ブループリント~ 第11章
 
 

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