【小説】『白と黒の雪どけに』Film.1 第4章

Film.1 ~雪が溶けると~

 
──雪どけの花が開く頃、僕の目に映る音は何色だろうか?
 
前 → 『白と黒の雪どけに』 Film.1 ~雪が溶けると~ 第3章
 
最初 → 『白と黒の雪どけに』 Film.0 ~プロローグ~
 
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◆ 第4章

「春子先生の家に来るのも、今日で最後になるのかな」
 白い息を吐きながら絵梨奈が呟いた。
 発表会前の最後のレッスンを終えた僕たちは、外に出て親の迎えを待っていた。三月とはいえ肌寒い日が続いていた。
「あれから六年も経ったんだね」と絵梨奈。
「ちょうど今頃だったよね。僕と絵梨奈が初めて会ったの」
 僕も絵梨奈も、思い出していたのは同じ日のことだっただろう。
 僕たちが初めて会話らしい会話をした、あの日から六年が経っていた。
「私たち、もうすぐ小学校も卒業しちゃうね」
「なんか中学生になるって、全然実感ないなぁ」
「中学生ってもっと大人だと思ってた」
「僕も思ってた」
 こんな会話を交わすのも最後になるかもしれない。
 中学に進んでも、学校で会うことはできる。けれど、この場所で会うことはもうない。
 玄関先の花壇に目を向けると、今年もスノウドロップが花を咲かせていた。絵梨奈と会って以来、ここの花壇を注意して見るようになったのだが、二月から三月にかけては毎年スノウドロップが咲いていた。
 絵梨奈が花壇の前にしゃがんだ。
『コンソレーション第三番』のメロディを口ずさんでいた。
 僕も何度も聴いているのですっかり覚えてしまっていた。絵梨奈が歌うと、白に近い水色の細い線が中空を漂う。
 絵梨奈の細く長い指の先が、スノウドロップの花びらにそっと触れた。

 あの日、図書室で調べて知った。
 スノウドロップの花言葉は「慰め」。絵梨奈が発表会で弾く曲の題名と同じだった。
 そのことを次のレッスンの日に絵梨奈に話すと、彼女は何かひらめいたような反応を見せた。
 それからというもの、彼女の『コンソレーション第三番』の色は目を見張るほど美しくなっていった。演奏が上達したことに加え、絵梨奈の指に迷いがなくなったような印象を受けた。

「湊は続けるんだよね、ピアノ」
 確かめるように絵梨奈が問いかけてきた。
 実をいうと、絵梨奈が三月で最後にピアノを辞めると言ったとき、僕もピアノを辞めてしまおうかと悩んだ。絵梨奈がいないのに続けていける自信がもてなかった。
「……まぁ、一応。中二の終わりまでは」
 きっぱりとした返事ができなかった。
 絵梨奈も返す言葉に悩んでいるように見えた。
 数秒間、お互いに無言になる。沈黙を破ったのは絵梨奈の迎えの車のエンジン音だった。
 絵梨奈が立ち上がり、僕もつられて腰を上げる。
「湊は大丈夫だよ」励ますように言って、絵梨奈が手を振った。「本番、頑張ろうね」
 僕も手を振って、去っていく彼女の背中を目で追った。

  *

 発表会本番当日を迎えた。
 午前中は会場の準備やリハーサルなどのため、客席やロビーには生徒と先生のほかは数名の保護者くらいしかいない。けれど午後になり本番が近づいてくると、客として見に来た生徒の友人や父兄、さらにはかつて習っていた卒業生などの姿も見えてくる。
 発表会では、各生徒が一人一曲ずつ演奏する。コンクールと違って課題曲もなければ賞や順位があるわけでもないので、それぞれが思い思いの曲を選んでくる。
 本番を約一時間後に控えた会場のロビーには、どことなく張りつめた空気が漂っていた。
 僕も、発表会という場は何度目であっても多かれ少なかれ緊張する。
 自分の演奏もさることながら、今年は絵梨奈のことも気がかりだ。当の本人はなおさらだろう。
 絵梨奈は淡い水色のロングドレスに、白のカーディガンを羽織っている。肘までの長さの手袋も、ドレスと同じ水色だ。
 普段はヘアゴムで留めているだけのハーフアップのショートヘアが、この日は丁寧に編み込まれている。さらに毛先にはゆるいウェーブもかかっていて、いつもより三割増しで大人びて見えた。

 発表会は順調に進み、僕も自分の出番を終えた。拍手に送られてステージをあとにする。ミスなく弾けたし、満足のいく演奏ができた。
 いつもならここで気が抜けるのだが、今回はそうもいかなかった。
 客席に戻った僕は、生徒用に用意された区画の席の一つに腰かけた。少し見上げる形ではあったが、ステージから近かったので演奏者の顔はよく見えた。
 ちょうど舞台袖から絵梨奈が入ってきた。
 ピアノを前にした彼女の表情は、やや強張って見えた。
 お辞儀をする。椅子に座る。高さを整える。座り直す。精神統一をするように、目を閉じて呼吸を整える。
 一つ一つの所作に、僕は強く惹きつけられていた。
 再び開かれた絵梨奈の目には、静かな覚悟が込められていた。

 鍵盤に手をかける。
 リストの『コンソレーション第三番』。
 右手と左手を交差させる形で、最初の音を鳴らし始める。
 僕の気のせいかもしれないが、この瞬間、会場が凛とした空気で満たされた気がした。
 ふんわりと鍵盤を撫でるように、腕と手首が柔らかく動く。左手が滑らかに流れ、右手は唄うようにメロディを奏でている。
 中盤から、曲の表情がだんだんと変わっていく。
 薄紅色が、黄色が、水色が、ときに揺らめき、ときに重なり合う。色は消えることなく、穏やかに絵梨奈を彩っていく。
 曲のクライマックス。練習ではここで音が消えがちだった。僕は固唾を飲んで見守る。
 右手がアルペジオを奏でると、色がふっと暗くなった。
 音階が上がっていくのに合わせて、ほのかに光る白い粒がひらひらと舞う。
 それは静かな夜に降り注ぐ粉雪を思わせた。
 そして最後の和音が、消え入りそうに、けれどはっきりと耳に届いた。
 無色透明だった雪にスノウドロップが色を与えた。そんな伝説があったことを思い出した。

 一瞬の静寂。
 どこからか聞こえてきた拍手が、会場いっぱいに広がった。
 僕も惜しみない拍手を送っていた。今日この会場に響いたどの拍手よりも熱いものだと思った。
 やがて絵梨奈はゆっくり立ち上がり、大きく息を吐いた。そして達成感を浮かべつつも引き締まった表情を崩さず、観客に深く頭を下げた。

  *

 発表会の全プログラムが終わり、僕と絵梨奈は会場のロビーにいた。
「お疲れ様。二人ともすごくよかった! 今まで弾いてきた中で今日が一番よかったよ!」
 春子先生が開口一番かけてくれたねぎらいの言葉に、僕たちは二人揃って「ありがとうございます!」と頭を下げた。
 演奏した生徒もそれを見守っていた先生や家族もみな緊張が解け、会場は賑やかになっていた。幼稚園や小学校の低学年くらいの子供たちは無邪気にはしゃぎ回ったりなどしている。
「春子先生も、講師演奏お疲れ様です」と絵梨奈。
 生徒の発表がすべて終わったあとには講師演奏というプログラムもあり、春子先生も一曲披露した。そんなわけで、普段はシンプルな服装の春子先生だが、この日はシックな黒のドレスに身を包んでいた。
「ありがとう。絵梨奈、よく弾いた。あの曲を弾き切ったこと、自信もっていい。今日のこの感覚を忘れないでほしい」
 絵梨奈が再びお礼を言う。よく見ると春子先生の目元に、泣き腫らしたような跡がある。絵梨奈の演奏に涙を流したのかもしれない。
 僕も自分のことのように喜ばしく思っていたし、安堵していた。自分が演奏を終えたことよりも、絵梨奈が本番で弾けたことが嬉しかった。
 それから春子先生は、僕の肩に手を置いて言った。
「もちろん、ここまで練習してきて、今日この本番で曲を弾き切ったのは、湊も同じ。絵梨奈の演奏を見届けたことも含めて、この経験は湊にとってもきっと糧になるはずだよ」
「はい。ありがとうございました!」
「うん。二人ともいい顔してる。本当によかった。お疲れ様!」
 春子先生に言われて僕は、そしてきっと絵梨奈も、自分の表情が思いっきり綻んでいることに気がついた。

 それから春子先生は、ほかの生徒や父兄に挨拶に行った。
 僕と絵梨奈はロビーの片隅の窓際に移動し、ベンチに腰かけた。僕たちの親は少し離れたところで話し込んでいる。
 会場の中は電気がついているので昼間と変わらない明るさだが、外はすでに暗くなっていた。
「湊がいなかったら、『コンソレーション』は弾けなかった気がする」
 絵梨奈が呟いた。
 そんなことないよ。否定の言葉を投げかけようとすると、絵梨奈が続けた。
「行き詰まったときとか、こう弾いたら湊にはどんなふうに見えるかなって考えてた。そしたらけっこううまく弾けたりしたんだよ」
「……そうだったんだ」
 改めて言われると照れくさかった。
「でも一番は、絵梨奈の頑張りだと思うよ」とつけ足す。
「そうかな。ありがとう」
 僕の隣にいる絵梨奈は、本番前よりもさらに大人になったように見えた。頬が紅潮しているように見えたのは、たぶん演奏を終えた興奮がまだ冷めていないからだろう。
「ねぇ、今日の私の演奏、どんな色が見えた?」
「優しい色だった。最後のほう、雪が降ってるように見えた」
「ほんと? 嬉しい」
「練習でときどき色が消えちゃってたところも、今日は消えなかった。……昔、色がなかった雪にスノウドロップが白い色を与えたっていう伝説が、たしかドイツかどこかにあるらしいんだけど、なんかそれ思い出した」
「そんな伝説あるんだ。ふふっ、ありがと」絵梨奈が微笑む。「やっぱり湊はすごいな」
 すると絵梨奈が何かに気づいたように立ち上がり、窓の外に視線を向けた。
「ほんとに雪降ってきたね」
 絵梨奈の見つめる先に僕も顔を向ける。彼女の言うとおり、外には粉雪が舞っていた。
「……実はさ、ちょっと思ってたんだ」窓の外を見たまま、絵梨奈が少し声のトーンを落とした。
「何を?」僕は尋ねる。
「自分は辞めるのに湊に続けてって言うのは勝手すぎるかな、って」
 なんだ、そんなことか。拍子抜けにも似た気持ちで笑ってしまった。僕にとっては些細な問題だった。けれど最後のレッスンの日、僕が歯切れの悪い返答をしたせいで絵梨奈を困らせてしまっていたかもしれないと思うと、後ろめたくもなった。
「そんなことないよ。気にしなくてよかったのに」
「だからせめて、最後の発表会はちゃんと弾き切らないとって」
「そっか」僕も立ち上がる。「たしかに今日の絵梨奈を見て、改めて思った。僕ももっと頑張らないとなって」
 絵梨奈がこちらに向き直った。彼女のほうが少し背が高いが大きな差はない。両目がまっすぐ僕を見ていた。
「改めて言うね。私、湊にはピアノ続けててほしい」
「うん。続けるよ」
「来年も再来年も、発表会は見に行く」絵梨奈は右手にはめていた手袋を外した。「湊は私のヒーローだよ」
 彼女が手を差し出してきた。僕はその手を握り返す。
 ──心臓が、とくん、と高鳴った。
「ありがとう。頑張るよ」
 ヒーローという響きが嬉しく、少しむずがゆくもあった。
 僕にとって絵梨奈がそうであったように、絵梨奈にとっても僕は特別な存在だったのだろうか。
 きっとそうだったのだと、このとき僕は思った。
 勝手な勘違いかもしれないが、今はその勘違いに浸っていても罰は当たらない気がした。

  *

 二年後、僕も最後の発表会を迎える。絵梨奈が見に来る。
 そのとき、どんな姿を見せればいいだろう。
 思いついたのは、僕もリストを弾こう、ということだった。
 
 
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