2018/06/04

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【小説】『白と黒の雪どけに』Film.1~雪が溶けると~ 第7章

──僕の「好き」という感情は、果たして〝正しい〟ものなのだろうか?
 
前 → 『白と黒の雪どけに』 Film.1 ~雪が溶けると~ 第6章
 
最初 → 『白と黒の雪どけに』 Film.0 ~プロローグ~
 
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-
 
【Film.1 ~雪が溶けると~】
 
 
◆ 第7章
 
 僕が通っていた中学では、毎年10月下旬に合唱コンクールが行われていた。
 各クラスが合唱曲を1曲ずつ、そして伴奏者と指揮者を一人ずつ選出する。学年ごとに金賞、銀賞、銅賞が与えられ、それとは別に、優秀な伴奏および指揮をした生徒にはそれぞれ伴奏者賞と指揮者賞が与えられるというものだ。
 
 1学期の期末テストが終わり、もうすぐ夏休みという頃だった。
 音楽の時間で、合唱コンクールで歌う曲と、伴奏者、指揮者を決めることになった。
 
(みなと)ピアノ弾けるだろ? てか、去年伴奏者賞とってなかったっけ?」
 合唱曲が決まり、それでは伴奏者を決めようかという話になったとき、隣の席のクラスメイトが僕に言った。
 僕が肯定すると、みんなが僕に伴奏を押しつける空気になった。
 
 好都合だと思った。1年生のときに伴奏者賞をとったのは事実だし、もともと歌があまり得意ではなかった。
 しかし僕は自分から進んで手を挙げるようなタイプではないし周りもそう思っていたはずなので、誰かに半ば押しつけられる形で伴奏を担当することになった、という形になるのが理想だった。
「じゃあ黒川くん、伴奏でいい?」
 音楽の先生が訊いてきた。
 この流れで僕が伴奏者になるのはごく自然なことだろう。僕は返事に詰まることなく了承した。
 
「指揮者は? やりたい人いる? 去年指揮やってない人でもいいですからね」
 先生が論点を指揮者に変えた。
 正直、指揮なんて誰がやってもいいと思っていた。前年の合唱を見ていても思ったが、彼らはどうせ自分の指揮で歌とピアノを操るのではなく、歌とピアノに合わせて腕を振るだけだろうと。
 なかなか決まらずざわつき始めるのをよそに、僕は合唱曲集の冊子からクラスで歌う曲のページを開き、譜面をさらったりなどしていた。
 なるほどこれくらいなら弾けそうだな、と思った頃だ。
 
「はい、では指揮は白川さん、お願いね」
 白川、という名前が聞こえて僕は思わず顔を上げた。
 自ら名乗り出たのか周囲に押し負けたのか知らないが、どうやら絵梨奈(えりな)が指揮者に手を挙げたらしい。
 指揮なんて誰でもいいと思ったが、絵梨奈は例外だ。考えられる限り最も指揮者になってほしい人だったし、彼女ならいい加減に腕を振るようなことはしないだろう。
 運がいい、と思った。平静を装ってはいたが、心の中では舞い上がっていた。
 
  *
 
 中学に上がって以降、ピアノはというと、早い話が春子(はるこ)先生とのマンツーマンのレッスンとなった。絵梨奈が辞めたあとに新しく僕と同じ時間に入ってくる生徒はいなかったので、そのまま一人で習うことになったのだ。
 
 小6の最後に聴いた絵梨奈の演奏が少なからず刺激になったのだろう。自分で言うのもなんだけど、たぶん小学生の頃より僕は真剣に練習に取り組むようになったのではないだろうか。
 そのおかげか、合唱曲の伴奏はさほど苦労することもなく、夏休みの個人的な練習だけでほぼ弾けるようになった。あとは指揮と歌に合わせられれば何も問題はなかった。
 
  *
 
 合唱コンクール本番まで1カ月を切ると、中には朝や昼休みに自主的に練習しているクラスもあった。隣のクラスなんかは本気で金賞を獲りにきているという噂もある。
 だが、僕たちのクラスはとてもそんな状況にはならなかった。
 
 そんなある日の4時間目、音楽の時間のことだ。
 2学期に入ると、音楽の時間はすべて合唱コンクールに向けた練習にあてられた。
 授業の前半は男子と女子に分かれ、パート練習をしていた。パート練習の際は、女子は先生のピアノ伴奏に、男子は僕が弾く電子ピアノの伴奏に合わせて練習することになっていた。男子は、電子ピアノを弾く僕を囲むように並ぶ形となる。
 
 普段は授業を、特に音楽などにはほとんど顔を出さない岩又(いわまた)が、この日は珍しく出席していた。
 クラス一の問題児である彼は、当然合唱の練習になんて微塵もやる気を示さない。
 そして彼がいると、ほかの男子たちも彼に合わせて僕の伴奏の邪魔をしたり、バカみたいな声量とめちゃくちゃな音程で歌ったりするなど、いつも以上に手を抜くようなる。
「ちゃんと歌ってよ」「いつまで経っても進まないじゃん」「本番近いんだからさ」などと僕が注意しても、まるで暖簾に腕押しだ。
「そういう黒川は歌ってねーじゃんかよ! 歌えよ、俺がピアノ弾いてやっからよ!」
 そう言って岩又は僕を突き飛ばし、伴奏でもなんでもない騒音を鳴らし始める始末だ。ほかのクラスメイトも誰一人僕の味方をしようとせず、ある者は岩又と一緒になってゲラゲラ笑い、またある者は傍観を決め込んでいた。
 
 ──そうだった。このクラスはこういう奴らの集まりだった。
 幸運だったのはあくまで、絵梨奈が指揮者に決まったところまでだったみたいだ。
 
 騒ぎを見かねた先生がたまに注意に入ると、岩又は僕から離れ、真面目に練習しているようなそぶりだけ見せる。
 そして一応真面目なまとめ役ということになっている僕に先生は、あなたがもっとしっかりまとめなさいと苦言を呈してくる。
 言いたいことはいくつもあったが、僕は何も言い返せなかった。
 
 心の奥底では、たぶん僕も彼らを同じことを思っていた。
 合唱なんてどうでもいい。真面目にやるなんてバカじゃないか。
 そもそも僕は歌うわけではないのに、ちゃんと歌えと注意するのも変な話だ。彼らにしても、歌いもしない奴に歌えと言われることに腹を立てていた部分も、多かれ少なかれあっただろう。
 
 ──しかしそんな態度を見せることは〝正しくない〟ということを、僕はわかっていた。
 僕は彼らと同じ立場になってはいけないという空気を察していた。
 先生にも怒られるだろうし、何より指揮を務める絵梨奈を裏切ることになると思った。
 
 結局この日もほとんどまともに歌うことができないまま、パート練習の時間が過ぎた。
「じゃあ全体で合わせるから、男子もピアノのほうに集まって」
 先生が集合をかけたので、僕は今度は音楽室のグランドピアノの前に腰かける。
 
 ──このときを待っていた。
 
 先生の目があるから、あからさまに和を乱そうとする人はいない。仮に誰かがふざけだしたとしても、僕が責められることはない。パート練習に比べると、はるかに気が楽だった。
 だけど僕が楽しみにしていたのは、そんな理由ではない。
 
 クラスメイトがのそのそと列を形成する。
 その向こう側に、絵梨奈の姿が見える。
 彼女の左手が挙がる。僕と目が合う。
 
 ──心臓が、とくん、と高鳴った。
 
 僕が小さく頷くと、絵梨奈が腕を振り始める。
 その合図で僕が最初の一音を鳴らし、曲が始まる。
 わずかにピアノのほうを向いていた絵梨奈の体が正面を向くと、人によって温度差が激しい女子も、全体的にやる気のなかった男子も、なんやかんやで歌いだす。
 
 部分練習を数回、それから全体を通しで2回ほど歌う。週に一度、時間にすればほんの十数分。春子先生のピアノ教室よりもずっと短い時間だけど。
 
 絵梨奈ならこの部分をこう解釈するだろう。だからこんなふうに腕を振るだろう。
 言葉を交わさなくても、手にとるようにわかる気がした。
 ──じゃあ僕はこうやって弾こう。
 僕の指は、ときには草原をスキップするように、ときには荒野を踏みしめるように、鍵盤の上で躍っていた。
 
 絵梨奈は上体をかすかに前に傾け、ソプラノを、アルトを、男声を導いている。指揮を振りながら自身も口を動かして、ソプラノパートを歌っていた。小さく弾むように独特のリズムのとり方には、どことなく春子先生の姿も重なる。
 僕の体も自然に揺れ、手首は調子のよい滑らかさで動いていた。
 
 クラスのためにとか、そんなの正直どうでもいい。合唱の出来がどうあれ知ったことではない。
 絵梨奈の指揮でピアノが弾ければ、僕はそれでいい。
 指揮と伴奏の、これは決して綺麗な対話ではないかもしれない。僕が一方的に従っているだけかもしれないが、それでよかった。
 
 絵梨奈と目が合い、絵梨奈のテンポに合わせてピアノを弾く。
 このろくでもない合唱練習の時間の、ささやかな楽しみだった。
 
  *
 
 授業終了のチャイムのあと、指揮と伴奏について軽く指導があった僕と絵梨奈は、少し遅れて教室に戻ることになった。音楽室は第二校舎にあり、そこから連絡通路を通って教室がある第一校舎に戻ることになる。
 第二校舎の薄暗い廊下を二人で歩く。
 授業のあとのこの数分間は、できればゆっくり歩きたい時間だった。
 
「伴奏、ありがとう。すごく助かってる」
「い、いや、こちらこそ。あんな伴奏でよければ」
 絵梨奈と二人だけになるとやはりどこか緊張するというか、ちゃんと喋れているだろうかと気になってしまう。
 顔が火照る気がした。絵梨奈を直視することができず、視線が泳いでしまう。
 
「始まるときに私がピアノを見るとさ、湊はいつもこっちに合図をくれるじゃん。あれが嬉しい」
「いや、そんな……」
「どんなに歌がめちゃくちゃでも、湊だけは目を合わせてくれるし、私の指揮に応えてくれる。一人じゃないって思える」
 
 ──ああ、そうか。
 いつかの理科の一件以来、絵梨奈もクラスで腫れもの扱いされるようになった。
 絵梨奈にとっても、クラスは居心地のいい場所ではなくなっていたのだ。
 
「ピアノが湊でよかった」
 ゴミの掃き溜めみたいな場所にいる僕たちだけど、合唱のときだけは、二人だけの時間に浸れるんだ。
 
「……大丈夫、一人にしないよ」
 頭に浮かんだ言葉を振り絞ったが、鼻につくようなものじゃなかっただろうか。
 
 絵梨奈の顔に視線を向ける。目が合った。彼女は優しく微笑んだ。
「ありがとう。本番もよろしくね」
「うん、よろしく」
 目を合わせることが、ピアノで応えることが、絵梨奈にとって少しでも慰めになるのなら──。
 
  *
 
 しかしこの約束を、僕は自ら反故にすることになるのだった。
 
 
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次 → 『白と黒の雪どけに』Film.1 ~雪が溶けると~ 第8章
 
 

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