2018/06/01

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【小説】『白と黒の雪どけに』Film.1~雪が溶けると~ 第6章

──僕の「好き」という感情は、果たして〝正しい〟ものなのだろうか?
 
前 → 『白と黒の雪どけに』 Film.1 ~雪が溶けると~ 第5章
 
最初 → 『白と黒の雪どけに』 Film.0 ~プロローグ~
 
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【Film.1 ~雪が溶けると~】
 
 
◆ 第6章
 
 スクールカースト、という言葉を知ったのはだいぶ年月が過ぎてからのことだ。僕が中学生だった2000年代半ばには、そもそもそんな言葉自体まだ知られていなかったと思う。
 スクールカーストという言葉を使って端的に言ってしまうならば、絵梨奈(えりな)はスクールカーストの上位で僕はその下位にいた。
 
 しかし、──これは完全に僕の主観であるが──絵梨奈が纏う佇まいや空気みたいなものは、同じカースト上位の女子たちがもつそれとは異なる気がした。
 たとえるならば、雲一つない晴れ空の下で陰を帯びているような、あるいは、色鮮やかな花が咲く花畑に無色の花が一輪覗いているような。
 周囲と異なるものをもちながら、しかし彼女は非常にうまく溶け込んでいたように思う。
 同時に、ちょっとしたことで壊れてしまいそうな危うさも漂わせていた。
 
 僕は逆に、溶け込むことが異常に下手だった。
 だからだろう。僕は、絵梨奈を模倣することに飽き足らず、いろんな人の言うことややることを真似するようになった。
 この場面であの人ならこう言うだろうとか、ここでこういう行動に出たらあの人は怒るだろうとか、そんな具合だ。
 自分でオリジナルの答えを出すのではなく、誰かが〝正しい〟とする選択肢を選ぶのだ。
 僕の感性は自分の中で成熟するより先に、他人のそれにすっかり染まっていた。
 
 僕の言動には一貫性がないとか、まるで筋が通っていないとか言われたことがある。
 当然だ。僕の「感性のようなもの」は、「絵梨奈をはじめとする様々な人の思想の寄せ集め」でしかないのだから。
 
  *
 
 これから書くのは、僕たちが中学2年生のときの話だ。
 
 地元の市立小学校から市立中学校への進学だったので、小学校の同級生はほぼ全員が中学でも一緒になる。
 ただ、ほかの小学校からも上がってくる生徒がいるため、一学年の生徒数は小学校の頃に比べて倍以上に増えた。
 校舎も小学校より格段に広くなったこともあり、クラスが違ってしまうと絵梨奈と会える機会はさらに減った。
 中1のクラスは絵梨奈と別で、中2でやっと同じクラスになった。
 
 中2のクラスは、一言で振り返るならば、最悪のクラスだった。
 
  *
 
 田舎の中学ともなると、ことあるごとに問題を起こすような、いわゆる不良と呼ばれる輩がクラスに一人はいるものだ。
 僕のクラスでは、岩又(いわまた)という名の男子生徒がそれだった。
 
 授業にはろくに出席せず、廊下にガムを吐き捨てたり、校庭でタバコを吸ったり、気に入らない生徒を集団でいじめたり、それを見咎めた先生たちにも殴りかかったり。僕の知らないところでは、他校の生徒と派手に喧嘩したり、およそ中学生が扱う範疇を超えた額の金銭取引をしていたりもしたらしい。
 要するに、クラスでは誰も彼に逆らえない。暗黙のカースト最上位。そんな奴だ。
 彼とは小学校は別だったし1年のときのクラスも違ったのでほぼ面識はなかったが、始業式の日から何かと目をつけられていた。きっかけは今でもよくわからない。
 
  *
 
 中学に入っても、絵梨奈は常に学年トップの成績をキープする優等生だった。
 そして小学校時代と同様、そんな彼女に置いていかれないように、見捨てられないようにしていたら、僕も気がつけば学年トップの成績を収められるようになっていた。僕と絵梨奈で学年1位と2位、なんてことも一度や二度ではなかった。
 常に学年で5番以内に入ることが僕に求められていることだと思ったし、そのこと自体は苦痛だとは思わなかった。
 
 しかしこの頃から、人前で勉強すること、ひいては努力している姿を見せることに、酷く抵抗を覚えるようになった。
 自習の時間であっても机に向かって勉強しようものなら何かと妨害されたし、なに真面目にやっちゃってんの? と後ろ指を指された。
 それに対し、僕は何も言わなかった。
 そもそも反抗する精神力など僕は持ち合わせていなかったし、絵梨奈もそんなことを、少なくとも僕がいるところではしなかったからだ。
 ただ嫌な気分になっただけだ。そして、そんな気分を味わうまいとふるまうようになっただけだ。
 
  *
 
 新しいクラスになって1カ月余り。クラス内の友人同士のグループが固まり、カーストの序列も浮き彫りになってくる頃だ。
「今日の理科の授業、クラス全員でバックレようぜ」
 岩又ともう一人、彼とよくつるんでいる佐橋(さはし)という女子が、先生や他クラスの生徒に知られないように、コソコソとクラスに言い回っていた。
 
 その日の理科の授業は、理科室に移動して実験を行うというものだった。
 僕たちのクラスの理科を担当していたのは、授業がわかりづらいうえに細かいことですぐ目くじらを立てるということで生徒からも悪評高い男性教師だった。
 もちろん不良からはとりわけ嫌われている。憎たらしい先公の授業を集団でボイコットしてやれ、というわけだ。
 この提案に誰も反論する者はいなかった。
 彼らに反発しようものなら、クラスに居場所はなくなる。それが暗黙の了解だった。
 
 問題の理科の時間になった。
 先生は僕たちが理科室に来るものだと思っているので、教室にはやってこない。
 僕たちはというと、誰一人として教室を出ることはなかった。僕はもちろん絵梨奈も、内心は嫌々だっただろうが教室を離れるそぶりは見せなかった。
 外からはあくまで僕たちは教室にいないと見せかけるためか、ドアと窓は閉め切り、ご丁寧に電気まですべて消していた。5月半ばの午後だったのでまったく暗くはなかったのだが、若干の蒸し暑さは生じる。だけどそのことに対しては、誰も文句は言わない。
 
 中学レベルなら、勉強に関しても生活態度に関しても、僕は何が〝正しい〟ものとして求められているのかはだいたい感覚的にわかってしまった。
 もともとそういう性格だったのか、それとも後天的に癖がついたのかは知らないが、どうやら僕は空気を読みすぎるタイプだったらしい。ここでは、理科室に行くよりも岩又と佐橋に従っていることが〝正しい〟のだと思い込むことにしていた。
 
 絵梨奈も空気が読めないわけでは決してない。現にこのときは席を立たず、集団ボイコットに加担している。それでいい、と僕は思った。
 ただ、空気を読む力という点では良くも悪くも彼女は僕より劣っていたかもしれない。
 いつかの「雪が溶けると何になる」という問題のときもそうだったが、「自分が〝正しい〟と思うもの」と「その場において〝正しい〟とされるであろうもの」が異なる場合、僕は後者を選んでいた。一方で絵梨奈は、ときおり前者を選ぶことがあった。
 
 そのわずかな違いは、この日決定的なものとなって表れたのだった。
 
  *
 
 ひそひそ話ほどの声量だったのが次第に大きくなり、授業開始のチャイムから15分が経過する頃には、教室の中は休み時間と変わらないやかましさになっていた。岩又や佐橋をはじめとする一部の連中は、ざまあみろとも言わんばかりのしたり顔で笑っている。
 僕は誰と話すでもなく、そんなクラスの様子を傍観していた。
 
 そんなとき、教室の前のドアが勢いよく開いた。
「お前ら何やってんだ!」
 理科の先生が血相を変えて教室にやってきた。
「何考えてんだ」とか「あれだけ連絡しておいただろう」とか「なめてんのか」とか「ふざけんじゃねぇ」とか「真剣に勉強する気があるのか」とか「そんなんじゃどこの高校にも行けないぞ」とか。理科室に来なかったことだけでなく、しまいには日頃の授業態度や生活態度の不満まで口にする始末だ。
 
 全員が席に着き、教室は静まり返っていた。先生が一言発するたびに、どんどん空気は重くなっていった。
 だが誰一人として聞く耳をもっていなかったことは、叱っていた当の本人以外は誰もが悟っていただろう。
 想定内だな、と僕は思った。僕だけじゃない。クラスの誰もがこうなることは想定していただろう。むしろ岩又などは腹の中で思いっきり嘲笑っていたのではないだろうか。
 
「お前らがやる気を出すまで授業しないからな! もういい、やる気がある奴だけ理科室に来い!」
 一通り説教を垂れたあとでそう言い残すと、先生は教室を出ていった。
 
 しかし沈黙に包まれていたのは一瞬で、徐々に「見た? 出てくときのあいつの顔」「結局授業やらねーのかよ」「この流れで誰がテメーの授業なんか受けるかよ」という言葉がどこからともなく聞こえてくるようになった。
 
 そんなとき、クラスの最前列の席の一つが、ガタッと動いた。
 
 ──絵梨奈だった。
 
 教科書とノートと筆記用具を手に持ち、立ち上がっていた。
 先生の言葉で、誰かは動くと思ったのだろう。あるいは一番前にいたから、後ろのほうの様子を感じとるのが一瞬遅れたのかもしれない。
 僕は血の気が引くのを感じた。かといって、ここで絵梨奈をかばうほどの勇気もなかった。
 
 クラス全員の視線が絵梨奈に集まる。
「は?」「エリ、何やってんの?」などと、誰からともなく非難の声が上がる。
 
 そのときのクラスの空気と絵梨奈の表情は、今でも思い出したくない。
 
  *
 
 結局絵梨奈も理科室に行かず、その日の理科の授業は誰も出席することなく終わった。
 次の理科の時間は大半が先生の説教で消えたが、まあそんなことはどうでもいい。
 
 翌日から、クラスメイトの絵梨奈への態度はあからさまに変わっていた。おそらく、佐橋が女子たちに根回ししたのだろう。
 授業以外の時間に教室で絵梨奈の姿を見かけることが少なくなったが、ほかのクラスの友人のもとに避難していたのではないかと推測している。今となっては知る由もないが、せめて人目につかない場所で痛めつけられていたなどということはなかったと信じたい。
 
 僕も絵梨奈もきっと空虚な存在で、自分というものが極めて希薄なのだ。
 だからこそ大人たちの考えもすんなりと受け入れ、その結果羽目を外しすぎることもなく学業でも好成績を収めることができたのだと思う。
 しかし本質的な部分は違ったのだ。
 
 思うに、自己が希薄とか空虚とかいうのには二つのタイプがある。
 本当に個性が無色なタイプと、いろんなものに染められて塗り潰されて影響されまくって本来の自分の色を見失った真っ黒なタイプの二つだ。
 彼女の希薄は何物にも染まらないがゆえの白さで、僕の空虚はいろんなものに染まりすぎたがゆえの黒さだ。
 それは奇しくも、生まれもった名字に含まれているのと同じ色だった。
 
 彼女は空気を読めないわけではないが、周囲に染められてしまったわけでもない。
 だから、ほんの少し空気に綻びができたときに、周囲を判断基準にできず、自分の意志で動いたのだ。
 このときはそれが裏目に出た。
 
 絵梨奈はその白さゆえに、スクールカーストの下位に転落させられてしまったのだ。
 
 
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次 → 『白と黒の雪どけに』Film.1 ~雪が溶けると~ 第7章
 
 

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