2018/05/25

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【小説】『白と黒の雪どけに』Film.1~雪が溶けると~ 第5章

──僕の「好き」という感情は、果たして〝正しい〟ものなのだろうか?
 
前 → 『白と黒の雪どけに』 Film.1 ~雪が溶けると~ 第4章
 
最初 → 『白と黒の雪どけに』 Film.0 ~プロローグ~
 
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-
 
【Film.1 ~雪が溶けると~】
 
 
◆ 第5章
 
 練習を始めた時期は少し遅かったかもしれないが、絵梨奈(えりな)は着実に『コンソレーション第3番』を仕上げてきていた。
 しかしどうしても、曲自体が難しすぎるのではないかと思わずにはいられない。
 
 本番1週間前、教室で行った模擬発表会。
 僕はほぼ曲が仕上がっていた。このまま本番に臨んでも、よほど大きなミスをしなければ問題ないレベルには達していた。
 心配なのは絵梨奈のほうだった。
 一通り最後まで弾けてはいたが、やはりどこか足りない。音符を追うのに精一杯で、細かい表現にまで気持ちが回らない、といったところだろうか。
 とにかく、仕上がり切っていない印象が拭えなかった。そしてその足りない部分は、あと1週間で補えるものだろうか。
 
 そんな絵梨奈に、春子(はるこ)先生がかけた言葉はシンプルだった。
「大丈夫。本番では弾けるって信じてる」
 絵梨奈の努力を、可能性を、演奏技術を、春子先生は心から信じていた。
 
 僕のほうも、ピアノを続けるのか辞めるのか、このときになってもまだはっきりした答えを出せていなかった。
 必ずしも発表会のタイミングで辞める必要はないと春子先生には言われていたが、惰性で続けていても仕方がないだろうし、辞めるならここだろうと思っていた。
 しかしそんなことは今は些末な問題だった。
 
 僕にできることがあるとすれば、絵梨奈より簡単な曲を弾く自分は決してミスをしないこと。
 そして絵梨奈が本番では弾けると、僕も強く信じることだ。絵梨奈なら、きっと大丈夫だ。
 
  *
 
 外に出た。僕も絵梨奈も、親の迎えはまだ来ていなかった。
 3月に入ったが、依然として空気は肌寒い。
「春子先生の家に来るのも、今日で最後になるのかな」
 白い息を吐きながら、絵梨奈が呟く。
 
「あれから6年も経ったんだね」
「ちょうど今頃だったよね。僕と絵梨奈が初めて会ったの」
 僕も絵梨奈も、思い出していたのは同じ日のことだっただろう。
 いつもは毎年3月に発表会を行うのだが、あの年だけは会場の都合で発表会が2月に早まり、3月のこの時期には通常のレッスンをしていたのだった。
 雪が残る3月初旬、僕と絵梨奈はこの場所で、初めて会話らしい会話をした。
 
「もうすぐ小学校も卒業しちゃうね」
「なんか中学生になるって、全然実感ないなぁ」
「中学生ってもっと大人だと思ってた」
「僕も思ってた」
「6年間、長いようで短かったね」
 こんな会話も、たぶん最後になるのだろう。
 
 玄関先の花壇に目を向けると、今年もスノウドロップが花を咲かせていた。
 絵梨奈と初めて会ったとき以来、ここの花壇を注意して見るようになったのだが、2月から3月にかけては毎年スノウドロップが咲いていた。
 僕と絵梨奈は二人で花壇の前にしゃがんでいた。
 
「……知ってる?『コンソレーション』って、『慰め』って意味らしいよ」
『コンソレーション』。来週の発表会で、絵梨奈が弾く曲の名前だ。何度も耳にしていた単語だが、意味は知らなかった。
 絵梨奈が手袋を外した。細く長い指の先が、スノウドロップの花びらにそっと触れる。
「スノウドロップの花言葉も、『慰め』なんだって」
 花から絵梨奈の顔に視線を移す。彼女と目が合った。
 
「もしかして、『コンソレーション』を弾くのを諦めなかったのって……」
「そう。『コンソレーション』がスノウドロップの花言葉と同じ意味って知って、難しくてもこれ弾きたい、って思っちゃったんだよね」
「先生、何も言ってなかったよね?『コンソレーション』の意味も、スノウドロップの花言葉も」
「うん。だけど、もしかしたら狙ってたのかもね」
 絵梨奈は小さく笑ったかと思うと、俯きがちに目を逸らした。
「……ただ、もう一つあってさ」
 
 ちょうどそのとき、1台の車がやってきた。絵梨奈のお母さんの車だった。
「お母さん来たから、私帰るね」
 絵梨奈が手袋をはめて立ち上がった。僕も立ち上がって、小さく手を振る。
「うん、じゃあまた」
「次会うのは発表会の会場だね」
 言いかけたことが気になるところではあったが、何も聞かなかったふりをして、絵梨奈を見送ることにした。
 
 こうして二人だけで話せる時間が、僕にとって幸せじゃなかったといったら嘘になる。
 絵梨奈はどう思っていたのだろう。
 何度も尋ねようとしたが、その答えを聞くのは少し怖くて恥ずかしくて何より〝正しくない〟気がして、結局一度も訊けなかった。
 
  *
 
 僕と絵梨奈が次に会う日、すなわち発表会当日がやってきた。
 
 午前中は会場の準備やリハーサルなどのため、生徒と先生のほかは数名の保護者くらいしかいないが、午後になり本番が近づいてくると、客席やロビーには、生徒の友人やかつてピアノを習っていた卒業生の姿も見えてくる。
 
 発表会では、各生徒が一人一曲ずつ演奏する。
 コンクールと違って課題曲もなければ賞や順位があるわけでもないので、ポップスからクラシックから、ときにはジャズや、人によってはオリジナルまで、それぞれが思い思いの曲を選んでくる。
 
 ちなみに、すべての生徒の演奏が終わると講師の演奏もある。
 もちろん、春子先生も1曲披露する。
 普段は上下黒のシャツとジーンズなどといった質素な格好で、化粧もあまり濃くはない。それでも決してだらしなくは見えないだけのスタイルと、気品のような何かがあるのだが。
 そんな春子先生がおそらく年に一度だけ華やかに着飾るのが、この発表会だ。
 レッスンのときには自分のレパートリーをほとんど見せることがない春子先生の、しかも貴重なドレス姿。
 そんなわけで、春子先生の演奏目当てで発表会にやってくる元教え子も多い。
 
 この発表会は個人運営の教室が複数集まって合同で行うのだが、どの教室も生徒は中学生までしかいない。
 おおよそ学年順に演奏していくが、中学生は人数が少ないので、6年生の僕たちはプログラムの終わりに近いところで出ることになる。
 この年は、僕は最後から6番目、そのあと1人の演奏を挟んで絵梨奈の出番、というプログラムだった。
 
  *
 
 本番を約1時間後に控えた会場のロビーには、どことなく張りつめた空気が漂っていた。
 僕も程度の差はあれど、発表会という場は何度目であってもやはり緊張する。
 自分の演奏もさることながら、今年は絵梨奈のことも気がかりだ。当の本人はなおさらだろう。
 
 絵梨奈は淡い水色のロングドレスに、白のカーディガンを羽織っている。肘までの長さの手袋も、ドレスと同じ水色だ。
 普段はヘアゴムで留めているだけのハーフアップのショートヘアが今日は丁寧に編み込まれていて、さらに毛先にはゆるいウェーブもかかっている。
 3割増しで大人びて見える衣装姿。
 しかし、心なしか顔色はよくない気がした。
 
「ほら笑って。笑顔笑顔! まあ曲が曲だから、あんまり笑いすぎても困るけどさ」
 黒いドレス姿の春子先生が、両手で絵梨奈の頬を挟む。
「大丈夫、弾ける弾ける。今日まで練習してきたんだし」
 春子先生は少しでも絵梨奈の不安を取り除こうとしていたのだろう。僕だって自分の演奏もあるが、暗い表情をしている場合ではなかった。
 
  *
 
 発表会は順調に進み、僕も自分の出番を終えた。
 拍手に送られ、ステージをあとにする。
 ミスなく弾けたし、それなりに満足のいく演奏ができた。いつもならここで気が抜けるのだが、今回はそうもいかなかった。
 
 客席に戻った僕は、生徒用に用意された区画の席の一つに腰かけた。
 僕の席の位置からは少し見上げる形ではあったが、ステージから近かったので演奏者の顔はよく見えた。
 ちょうどそのとき、僕の次の人の演奏が終わり、入れ替わりで舞台袖から絵梨奈が入ってきた。
 ピアノを前にした絵梨奈の表情は、やや強張って見えた。
 
 お辞儀をする。椅子に座る。高さを整える。座り直す。
 精神統一をするように、目を閉じて呼吸を整える。
 時間にすればほんのわずかなものだが、一つ一つの所作に僕は息を呑んでいた。
 
 再び開かれた目には、静かな覚悟が込められていた。
 
 鍵盤に手をかける。
 リストの『コンソレーション第3番』。
 右手と左手を交差させる形で、最初の音を鳴らし始める。
 僕の気のせいかもしれないが、この瞬間、会場が凛とした空気で満たされた気がした。
 
 ただでさえ小さいホールでやる、小規模な発表会だ。
 仰々しいスポットライトなどがあるわけではない。
 しかし舞台上は、絵梨奈と、絵梨奈の指によって音を奏でるグランドピアノだけが、スポットライトを浴びているように見えた。いや、その周囲が暗くなっていたのかもしれない。
 
 ふんわりと鍵盤を撫でるように、腕と手首が柔らかく動く。
 左手がしっとりと滑らかに流れ、右手は唄うようにメロディを奏でている。
 中盤から曲の表情がだんだんと変わっていく。
 冬空の下で独り佇んでいたところに、誰かが優しく手を差し伸べてきたような、そんな調べだ。
 
 ──「コンソレーション」って、「慰め」って意味らしいよ。
 
 ふと、絵梨奈の言葉を思い出した。
 
 ──スノウドロップの花言葉も、「慰め」なんだって。
 
 あのとき、絵梨奈はスノウドロップにそっと触れながら言っていた。
 あれはもしかしたら、絵梨奈なりの「慰め」のイメージだったのかもしれない。
 
 曲のクライマックス。暖かい光が天に昇っていくように、音階が上がっていく。
 16分音符の粒は、すべてを赦すかのように降る淡雪にも感じられた。
 そして最後の和音が、消え入りそうに、けれどはっきりと耳に届いた。
 
 一瞬の静寂。
 
 どこからか聞こえてきた拍手が、会場いっぱいに広がった。
 曲の余韻に浸るような、静かな拍手だった。
 しかし、今日この会場に響いたどの拍手よりも熱いものだったと思う。僕も惜しみない拍手を送っていた。
 
 やがて絵梨奈はゆっくり立ち上がり、大きく息を吐いた。
 そして達成感を浮かべつつも引き締まった表情を崩さず、観客に深く頭を下げた。
 
 情熱的に鍵盤をたたいたわけでも、ダイナミックに腕や体を揺らしたわけでもない。彼女が奏でたのはあくまで静謐な旋律だ。
 しかし込み上げてくるものがあった。
 最後までミスがなかったのも、強張った表情がいつの間にか消えていたのも、すべて終わったあとに気がついた。
 そんなことは言うまでもないくらい、僕は惹きつけられていた。
 
  *
 
 発表会の全プログラムが終わり、僕と絵梨奈は会場のロビーに出た。
 演奏した生徒もそれを見守っていた先生や家族もみな緊張が解け、会場は賑やかになっていた。小さい子たちは無邪気にはしゃぎ回ったりなどしている。
 
「お疲れ様。二人ともすごくよかった! 今まで弾いてきた中で今日が一番よかったよ!」
「ありがとうございます」
 春子先生が開口一番かけてくれたねぎらいの言葉に、僕たちは二人揃って頭を下げた。
「春子先生も、講師演奏お疲れ様です」と絵梨奈がつけ足す。
「ありがとう。絵梨奈、よく弾いた。あの曲を弾き切ったこと、自信をもっていい。今日のこの感覚を忘れないでほしい」
 絵梨奈が再びお礼を言う。
 よく見ると春子先生の目元に、泣き腫らしたような跡がある。絵梨奈の演奏に涙を流したのかもしれない。
 僕も自分のことのように喜ばしく思っていたし、安堵していた。自分の演奏よりもむしろ絵梨奈が本番で弾けたことが嬉しかった。
 
 それから春子先生は、僕の肩に手を置いて言った。
「もちろん、ここまで練習してきて今日この発表会で曲を弾き切ったのは、(みなと)も同じ。絵梨奈の演奏を見届けたことも含めて、この経験は湊にとってもきっと糧になるはずだよ」
「はい。ありがとうございました!」
「うん。二人ともいい顔してる。本当によかった。お疲れ様!」
 そう言われて僕は、きっと絵梨奈も、自分の表情が思いっきり綻んでいることに気がついた。
 
  *
 
 それから春子先生は、ほかの生徒や父兄に挨拶に行ったようだった。
 僕は絵梨奈はロビーの片隅の窓際にいた。僕たちの親は少し離れたところで話し込んでいる。
 会場の中は電気がついているので昼間と変わらない明るさだが、外は薄暗くなっていた。
 
 窓の外を見つめる絵梨奈の横顔は、本番前に見たときよりもさらに大人になったように見えた。
 顔が紅潮しているように見えたのは、たぶん演奏を終えた興奮がまだ冷めていないからだろう。
 
「……ほんとはさ、ずっと言いたかった」
 唐突に、絵梨奈がぽつりと言った。
「ピアノを続けるか辞めるか、悩んでたよね」
「……うん、まあ」
「私は辞めないでほしかった。だけどそんなことを言う資格なんて、私にはないんじゃないかと思ってた」
 なんでとか、そんなことないよとか、否定の文句がいくつか浮かんだが、かける言葉に迷っている間に絵梨奈が続ける。
「最後の発表会で自分の曲を仕上げられなかった人に、無責任に辞めるななんて言われたくないと思ってたから。だから今日はなんとしても失敗したくなかった」
 彼女がまっすぐ僕に向き直る。言葉にも静かに熱が込められていた。
「湊にピアノ続けてって言うために」
 ああ、なんだ。そんなことで悩んでいたのか。
 僕は拍子抜けにも似た気持ちで笑ってしまった。
「絵梨奈が最後にどう弾こうと、僕は続けてと言われたら続けてたよ」
 
 ──そうか。ここでようやく気がついた。
 
「来年再来年、発表会は見に行く。だからさ」
 絵梨奈は手袋を外し、手を差し出してきた。
 
「湊、ピアノ続けてほしい」
 ──絵梨奈からその言葉をもらえるのを、僕はずっと待っていたんだ。
 
「うん。わかった」
 僕は大きく頷き、絵梨奈の手を握った。
 あんな演奏を聴かされたら、僕は弾き続けないわけにはいかないじゃないか。もっと頑張らないわけにはいかなくなったじゃないか。
 
  *
 
 僕はこのとき、心に決めたことが二つあった。
 それを実行に移すのは、一つは2年後、もう一つはさらにその1年後のことになる。
 
 
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次 → 『白と黒の雪どけに』Film.1 ~雪が溶けると~ 第6章
 
 

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