
オリジナルストーリー『片翼の蝶と白昼夢』のあとがきのような話です。
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「ここにいる私たちってさ、なんか、ちょうちょみたいだよね」
人間が死ねなくなった時代の、『
七日後に死ぬことになった少女の物語。
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【小説】『片翼の蝶と白昼夢』
『片翼の蝶と白昼夢』小説全文(縦書きpdf)
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【イラスト】『片翼の蝶と白昼夢』
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(タイトルの「片翼」は、僕は「かたよく」のつもりで書いていましたが、「へんよく」とも読むみたいですね。そもそも「片翼」という言葉自体が一般的なものではないらしいです)
科学や医療の進歩によって人間が何年でも生きられるようになり、その一方で『自殺幇助推進組合』なる組織が作られた、という世界が舞台となっています。
始めに書いておきますが、この作品はフィクションです。実際の人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
この作品の自分の中でのコンセプトは、「ありえるかもしれない近未来」です。
日本はまだそういうわけにはいかないみたいですが、国によっては安楽死がすでに合法化されているところもあるようです。『安楽死マシン』みたいなものも実際に開発されているとかいないとか。
日本は「平均寿命」が世界でもトップクラスの長寿大国ですが、健康上の問題がない状態で日常生活を送れる期間を表す「健康寿命」という観点で見ると、男女とも「平均寿命」より10歳ほど下になる、というデータもあるみたいです。
この話を聞いたことが、『片翼の蝶と白昼夢』の始まりでした。
そして、僕はふと、「三秋縋さんならどんな物語にするだろう」と思ったのです。
ですが僕は三秋さんにはなれないし、僕なんかがいくら頭をひねったところで、三秋さんはそれよりずっと感動的なお話を考えるでしょう。
だから、僕が僕として、僕なりに描くならどんな物語になるだろう、と考えました。
結果として、生きづらさを抱える少女を主人公としたお話になりました。
前作『明日はきっと晴れますように』といい、僕はこういう話が好きなのかもしれないです。
一応『明日は~』とは毛色の異なる作品にしたつもりですが、いかがでしたでしょうか。
今までの作品と比べるとかなり短い期間で勢いで完成させた感がありますが、自分の中でアイデアが腐らないうちに書いて発表しなければ、という衝動に駆られ、一気に書き上げました。
不思議と、物語を構成するパズルのピースも今回はスムーズに嵌まっていった感触があります。
「健康寿命」が「平均寿命」を大きく下回っている、つまり健康でない状態なのに延命を続けている人が多くいる、という日本のあり方を否定するつもりはありません。
延命技術自体は必要なものだと思うし、延命治療を施されながらも生きているのは、大半が本人の希望あってのものでしょう。
僕が思ったのは、現代社会には、健康状態とは関係なく、死にたいと思っているのに生きることを強要されている人がいるんじゃないか、ということです。
いじめ、虐待、貧困、過労などに苦しんでいる人。
生きることに希望が見出せないまま毎日をしかたなく生きている人。
まわりからの「生きてほしい」というエールを苦痛にしか感じられない人。
そういった人たちのための、優しい最期を描いてみようと思いました。
さて、そろそろネタバレ注意報を出しておきます。
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※※※ 以下、ネタバレを含みます ※※※
以下の内容は、作品をすべてご覧になってから読むことをおすすめします。
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【小説】『片翼の蝶と白昼夢』
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「名前」が作中で一つのキーワードになっているので、まずは名前の話をしようと思います。
生きることが嫌になり、死ぬと決めて『自殺幇助推進組合』の施設に来た主人公が、そこに身を置いているうちに生きることも悪くはないのかなと次第に思うようになり、最後の最後、生きたいと思った瞬間に死を迎える、というのが『片翼の蝶と白昼夢』の大まかな流れです。
その「生きたい」と思わせる一つのアイテムとして、この作品では「名前」を使っています。
翼の千切れた蝶をモチーフにするということで、まず主人公の名前を「翼」にしようと決めました。
幼馴染の男の子の名前には、「翼」とペアになるような名前として、「翔」という字を使おうと思っていました。
「翔太」や「飛翔」などの候補がありましたが、考えているうちに、男の子の名前なら「飛翔」と書いて「つばさ」と読む例があることを知り、男の子の名前も「つばさ」にすることにしました。
さらに考えていたら、これ漢字いらないな、ということに思い至り、シンプルでわかりやすく「つばさ」と「ツバサ」にした、という経緯があります。
綺麗なイメージの蝶との対比で『イモムシ』という言葉を思いつき、これを主人公の蔑称、そしてトラウマとすることで、「名前」を物語の鍵として印象づける効果を狙いました。
(『イモムシ』の由来が「芋」と「無視」というのは、主人公の過去を考えているうちに突然ひらめいたんですが、我ながらよく思いついたなぁと思います)
あと、物語の舞台となる「施設」にも、当初はかっこいい名前がついていた(しかもわりと気に入っていた)んですが、途中で「これ名前いらなくね?」と思ったのでカットしました。
各章のタイトルも、あえてなくしたほうが物語の雰囲気に合うような気がしたので、今回は「第●章」のみの形にしました。
(け、決して思いつかなかったとかじゃないよ!)
名前の話につけ加えるなら、「小学校に上がったら下の名前で呼ばれなくなった」ことと「クラスメイトを下の名前で読んだら怒られた」ことは僕の実体験です。
それ以外のつばさと『K255』の過去の話は、どこかで読んだ話や聞いた話をもとに作りました。
文章に関しては、「虫」「蝶」「イモムシ」「サナギ」などといった言葉から連想したものを多く入れるようにしてみました(「
ツバサくんの右腕が義手なのは右の翼がないアゲハ蝶と重ねていますし、「志村」という名字は「虫→むし→しむ→しむら」という連想からきています(本当は彼の名字なんてなんでもよかったんですけどね……)。
このおにいさん、もうちょっと優しい感じの人になると思っていたんですが、大人になったらけっこうサイコパスみある感じになってしまいましたね。まあいいか。
また、「死ぬ間際の束の間の白昼夢」みたいな世界観を表現したかったので、明るい場所を意図的に多く描いたつもりです。
終盤の、つばさと『K255』の夜のベランダでの会話シーンと朝のベッドでの会話シーンは、どちらも書く予定はありませんでした。
このままだと『K255』の存在感がちょっと弱くなりそうだ、という理由でつけ足したエピソードです。
「私たちってちょうちょみたいだよね」という『K255』のセリフも(でかでかとキャッチコピーみたいにしていますが)、最初は考えていませんでした。
ですが「そうそう、作者はこういうことを言いたかったんだよ」というセリフを『K255』が言ってくれたので、結果的にあのシーンは入れてよかったと思ったし、『K255』はいい感じにヒロインになってくれたかな、と思います。
主人公のつばさは、最後にほんの少しの希望のかけらみたいなものを見出しますが、これは物語としてのスパイスのようなものであって、僕は「生きていれば必ずいいことがある」ということをこの作品で言いたかったわけではありません(少なくとも僕は、「生きていれば必ずいいことがある」ということをまだ実感としてもつことはできていないです)。
わずかな希望すら見えない人もいるだろうし、それでもいいんじゃないかと思います。
必ずしも生きなければならないのか、生きていることは幸せにつながるのか、という疑問からこの作品は生まれました
あなたの望む優しい最期へ。
それでは、今回はこのあたりで。