「朝起きられてえらい!」とか「二足歩行できてすごい!」とか、そういうメッセージがSNSなどでバズるのを昨今よく見かけます。
「ちょっとしたことでも褒めてあげよう」みたいな風潮ですね。
ですが、僕はああいうのを見ても全然励まされた気になれないんです。
先日、ある人からもおすすめされたりしたんですが、何度見ても元気が出ません。
なんでだろうって考えてみました。
たぶん、「そんなの誰にも当てはまるじゃん」という気持ちが先に立ってしまうからかなという結論に至りました。
もっとこう、自分のためだけに向けられた慰めとか、手取り足取り立ち直らせてくれる優しさとか、そういう感じの言葉がほしいのだと思います。
ただのわがままかもしれないんですが。
少し話は逸れますが、たとえば、一時期流行った血液型占い。
「A型の人は〇〇な性格」「B型の人は〇〇な傾向がある」みたいなやつです。
あれって、よく見ると「誰でも当てはまるじゃん」みたいなものが多くないですか? と言いたいです。
おそらくあの手のものは、「A型の人はA型の結果しか見ない」「B型の人はB型の結果しか見ない」という意志のもとで作られているのではないかと推測します(全部が全部そうだとは言いませんが)。
僕は血液型不明なのでこういうのは全部の結果を見ていたんですが、たいていの場合、どの血液型の話もどこかしら当てはまる部分があるのです。
血液型となると4パターンしかないので仕方のないことかもしれませんが、それでももっとピンポイントで当ててくれよ、と思ってしまいます。
要するに、疑心暗鬼になってしまうのです。
これと同じようなことを、「生きているだけで褒めてくれる」類の言葉にも感じるんだと思います。
僕が求める「優しさ」とか「励まし」って、こういうのじゃないよな、と。
ちょっとやそっとじゃ慰められなくなったけれど、そんな自分のことをせめて自分だけは慰められるように、という気持ちで物語を書いている節はありますね。
今書いている『白と黒の雪どけに』も、(現在はまだ序盤ですが)物語終盤になるにつれてそういう色が濃くなってくると思います。
お楽しみに(たぶん楽しみなのは書いている本人だけだろうけど)。
余談ですが、この記事のタイトルはT.M.Revolutionの『LEVEL 4』から引用しています。
歌詞全体のテーマや歌われているニュアンスはこの記事に書いたこととは異なるんですが、この詞を1997年に書いた井上秋緒さんは天才だと思いますね。
それでは、今回はこのあたりで。