自分を慰められるのは自分しかいない。
自分を守れるのは自分しかいない。
確かにそうかもしれない。
自分が何をされると嬉しいか、何に苦しんでいるのか、何をしてほしいか、何が好きなのか、何が足りないのか、何がしたいのか。
そういったことを正確に把握できるのは、自分自身しかいない。
けれど、もしこれが真理だとするならば。
自分の感覚、思考、意思、論理、判断、経験、価値観。
それこそが信じるべきものだと割り切らないといけないのではないか。
言い方を変えれば、他人という存在は、少しでも自分に害をなそうものなら切り捨てろということだろうか。
「苦手な奴とは距離を置け」とか「つらいなら辞めろ」とか「一番大切なのは自分自身」とかいう言葉はよく耳にする。
もっともではあるけど、そんな単純なことばかりでもないだろう。
苦しくても、自分以外の他人に縋ってしまおうとするのはどうしてだろう。
それはたぶん、それだけ世界をまだ信じていたいからだ。
あるいは、まだ自分を信じきれていないからかもしれない。
自分を慰められるのは自分しかいない。
他人なんかには自分を慰めることはできない。
そう思えるくらい、この世界を嫌わなければならない。
掛け算で0を乗じるとどんな数でも0になってしまうが、そんなふうにバッサリと信頼や友好関係を切り捨てられればどんなに楽だろう。
誰もがそんなことできるわけではない。
数え切れないほどのマイナス要素があっても、たった一つプラス要素があるからという理由で切り捨てることができないでいる。
この関係を断ち切るくらいなら、この状況が変わってしまうくらいなら、今のままでいるほうがまだ楽かもしれない。
そんな優しさで自分の首を絞めている人が、少なからずいると思う。
いや、そう思っているのは僕だけで、実は僕以外の人はあっさり0を掛けることができてしまうのだろうか。
「『嫌いになれない』って地獄でしかないよ」と誰かが言っていたけど、なるほどその通りだ。
「嫌いにならない」という優しさを捨てないと生きていくことが難しい。
この世はそんな地獄なのかもしれない。