(初出:2017年11月8日)
自分らしさは自分で決めるものじゃない、という話。
高校の放送部の新人大会県予選があったらしい。
母校の放送部も好成績を収めたと、風の噂で聞きました。
おめでとうございます。卒業したあとも、こうした朗報を聞くのは嬉しいものです。
高校の放送部の大会は、アナウンス、朗読、そしてテレビ番組やラジオ番組などの部門に分かれている。
その中でも番組部門というのは、部で制作したオリジナル作品の出来を競うもので、その審査基準として、内容や技術などはもちろんのこと、「高校生らしさ」というよくわからないものがあった(今でもあるのかな。僕の頃は本当にあった。実際に「高校生らしさ」が審査にどの程度影響していたかは知らない)。
話は少し変わるけど、先日とあるきっかけで、高校生が書いた文章や高校生のことについて書かれた文章を読む機会があった。
なるほど今の高校生はこういうことを感じているのか。そうかこういう世界もあるのだな、そういえば自分の頃もこういうことがあったな、などと、高校を卒業して久しい僕は当事者たちの感性に感心したものだ。
そこで僕は、「高校生らしさ」という言葉を思い出した。
うまく言い表せないけど、これが「高校生らしさ」なのかな、と思った。
高校を卒業して7年目にして、ようやく「高校生らしさ」というのがなんとなく見えてきた気がした。
高校生だった僕は、当然といえば当然かもしれないけど、「高校生らしさ」なんていうものはよくわからなかった。
「高校生らしさとは?」と闇雲に頭をひねっていたこともあった気がする。
だけどそんな当時の僕に今言えることがあるとすれば、高校生の君が感じるままに作れば、それが審査員のおじさんたちが思う「高校生らしさ」になるんじゃないかな、ということだ。
要は、「らしさ」なんてあまり意識しすぎなくていい。
当事者はむしろ意識するべきではないとさえ思う。
高校生の視点というのは、高校生にならないとわからないし、高校を卒業したらまたわからなくなる。
たとえば「自分らしさ」なんていうのも、「これが自分らしさです!」と自分で言うものではなくて、誰かから「ああ、これは君らしいね」みたいに与えられるものなんじゃないかと思う。
当たり前に感じていることも、実は部外者から見たらすごく新鮮だったりする。
そしてそういう「当たり前」なことこそが実は「らしさ」だったりもする。
思うに、「らしさ」とは当事者が名乗るプロフィールではなくて、他人からもらう、一種の称号みたいなものなのだ。
それでは、今回はこのあたりで。
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